
宇多田ヒカル「Automatic」に関する解釈
「……トビー・ウォン? ウォン? ……トビー……誰だっけな……」
右隣に座ったジョーが古い手帳を見ながら、ずっと独り言を呟いている。
朝食後のダイナの席。
左側ではミスター・ブラウンが、いかにも“とっておきの話をしてやる”とばかりに語り出した。
「宇多田ヒカルの『Automatic』は……キメセクとリモバイで調教されたい女の歌だ」
またバカ話だ。
このアゴ助はどうもくだらん話を延々としたがるタイプらしい。
逃走ドライバーとしての腕は確かなようだが、そこが玉に瑕だ。
「違うよ。あれは初恋の喜びをかみしめる女の子の歌だ……はじめて恋をして、心を奪われた戸惑いを歌ってる」
と、ミスター・ブロンド。
こいつと仕事するのは初めてだ。
ジョーとそのドラ息子、ナイスガイ・エディとは古い付き合いらしい。
俺もジョーとは長い付き合いだが、ジョーもエディもこのミスター・ブロンドのことをえらく高く買っているようだ。
「違うね。違う違う。みんなそう思ってるだけだ……いいか、あの歌はな……」
「宇多田ヒカルは好きじゃないね」
ブラウンの話に口を挟んだのはミスター・オレンジだ。
奴とも今回の仕事で初顔合わせだったが、こいつはなかなかイイ奴だ。
若造だが素直だし、俺のことを慕ってる。
「俺もだ。“Keep Tryin'”はいいと思ったが、あのアニメの主題歌はな」
オレンジに同調したのは、年長者のミスター・ブルーだった。
食後の葉巻を咥え、いい歳をしてポップソングの話に乗ってくる。
ただブルーは凄腕で、俺たちの間では伝説的な男だ。
「わかったわかった……とりあえず、『Automatic』に関する話だ……あの歌の主人公の女は、それまでどちらかと言えば生真面目な女だった。あるいは処女かな。冴えないタイプさ……一度や二度は男と付き合ったことがあるが、どれも上手くいかなかった。セックスの相性が合わなかったんだろうよ。女は、自分が思ってるよりスケベなんだ」
「わかる。それあるよな。そういう女が結構イイんだ」
とミスター・オレンジ。
必死に俺たちの仲間に溶け込もうとしているのがわかる。
かわいい奴だ。
「ウォン? ……アンソニー・ウォン? ウォン? ウォン・カーウェイ……?」
ジョーは俺の右隣でまだ独り言を続けていた。
俺の左耳のほうではミスター・ブラウンの語りが続く。
「だから聞けって……まずあの歌の出だしだ。『七回目のベルで受話器を取った君。名前を言わなくても声ですぐわかってくれる』ってんだけど、これの意味がわかるか?」
「それだけ電話で話すのを待ち焦がれてた、って意味だろ。乙女心だよ」
とミスター・ブロンド。
「だいたい最近、『受話器取らない』よな」
ブルーが葉巻をくゆらせながら言う。
確かにそうだ……最後に“受話器”を握ったのはいつだろうか、と俺は思った。
即座にブラウンは首を振った。
「NoNoNoNo……違うね。これは電話の相手がプロの売人であることを示している。七回目のベルまで電話に出ない、んじゃないんだ。七回目のベルで確実に出ること、これがこの売人と客の秘密の合図ってわけだ」
「俺なら20回目くらいにするけどなあ……7回じゃふつうだろ? 少なすぎるよ」
オレンジが腕を組みながら考えた素振りで言う。
「売れっ子の売人なんだよ。とにかく電話に出たことで、彼女は相手が馴染の売人だとわかる。売人も彼女が誰だかわかる……だから『名前を言わなくても 声ですぐわかってくれる』ってわけだ」
「いったいなんでそこまでこの歌と売人やキメセクを結び付けようとするんだ? ……宇多田ヒカルに恨みでもあるのか?」
ブロンドが抗議する。
さてはこの男、宇多田ヒカルのファンなのか。
それとも『Automatic』の歌そのものが好きなのか。
「ウォン……ウォング……ジミー・ウォング……ウォン……フェイ・ウォン?」
ジョーはまだ手帳を見ては独り言の繰り返しだ。
「まあ聞けって……『嫌なことがあった日も君に会う全部フッ飛んじゃうよ』ってこれ、ドラッグの象徴じゃなくてなんだってんだ? 『君に会えない My rainy days 声を聞けば自動的に sun will shine』ってこれ、禁断症状以外、何を示してるってんだよ?」
得意げなブラウンにブロンドがまた抗議する。
「いや、普通の恋心だろ? 禁断症状だったらむしろ、『Addicted To You』ってそのまんまの歌があるじゃないか」
「あれはタイトルからしてそのまんますぎる。それから『君に会えない My rainy days』とくるだろ? 『rainy days』ってのはこれまた露骨に、『あんたに会えないといつもアソコがひとりでに濡れ濡れになってオナりまくっちゃう』って意味だ」
「じゃ、そうなると『君に会えば自動的に sun will shine』ってのは男に会うともう一人でに薬とファックが欲しくて目がギラギラしちゃう、って意味かよ?」
ブルーがブラウンのバカ話に乗ってきた。
まったくいい歳をしてこのおっさんは……
「ご名答! まさにそうだよ! そこからサビだ……」
「で、どこでリモバイが出てくるんだ?」
と食いつくオレンジ。
こいつ、イイ奴なんだが食いつくところがなんか違うような気がする。
こんなバカ話に食いついてもいいことなんか何もないのに。
「そこでサビだって言ってるだろ! 『It't automatic』、つまりリモバイだ! 『側にいるだけでその目を見つめられるだけで』って歌うだろ? 『側にいる』ってのはこの売人野郎が持ってるリモコンの電波が、主人公の女のアソコに埋め込んでるリモバイまで届く距離にいる、ってことだ」
ブラウンは身振り手振りを交えて調子づいて語る。
ちょっと待ってくれ。
頼むからそれ以上デカい声を出すな。
ダイナにいる他の客たち、俺らを不審そうに見てるじゃないか。
ただでさえ大の男が5人、黒スーツに白シャツ、黒ネクタイで目立ってるってのに……
しかしブラウンは止まらない。
「それこそ女はこの売人野郎にクスリとリモバイで延々と調教されてきた。まるでベルを鳴らしたら涎を垂らしてはしゃぎまわるパブロフの犬みたいに手懐けなれてる。だから、『ドキドキ止まらない Noとは言えない I just can't help』ってわけよ」
「いや、やっぱりあの歌は切ない恋を歌った歌だと思うなあ……俺としては」
譲らないブロンド。
「いやいや違う違う。売人野郎にクスリの小袋を目の前にちらつかされて、何日もお預けを食らった女がリモバイで攻められたらどうなるか考えて見ろよ……まるで『ヌーク』の瓶を目の前にしたロボコップ2号だ!」
ブラウンが“どうだ!”とばかりに俺たちの反応を見る。
「ロボコップ? なんでロボコップの話に?」
オレンジが聞くが、ブラウンの耳に入っていない。
ブラウンはかなりの映画オタクらしい。
オレンジもブラウンも、ブロンドも置いてけぼりだ。もちろん俺も。
「女はヤクを食わされるわリモバイで責められるわで、床を転げまわって走り回って、涎と潮吹きで部屋はカトリーナ台風の後みたいに大洪水さ……それに、だいたい宇多田ヒカルの歌はほかにも……」
ブラウンのバカ話は続いた。
その後、俺はずっと独り言をつぶやくジョーから手帳を取り上げたり、ずっと黙ってたミスター・ピンクが会計のときにチップを払わないとゴネたり、いろいろあった。
その後、俺たちは仕事に出かけ、さらにいろいろあってピンク以外は全員死んだ。
<了>