なぜ私どもはミニスカに魅せられる?
暑くなってきた。
いや、暑くなってくる前からさいきん、街ではやたらミニ丈のスカートを履いた女子が目立つ。
なぜだ?
いつの間に?
なんでこんなにスカートはまた短くなった?
思えば90年代、女の子たちのスカートはこーんなに短かった。
で、また少し長くなって、2000年代にはまた短くなった。
女子高生のスカートもこんなんだった。
で、いまの女の子たちに流行ってるのはこういうのだ。
こーいうのをY2Kファッションというらしい。
てか数年前から流行っていたようだ。
Y2Kファッションとは、
ということらしい。
2000年代?
ほんのつい最近じゃねーか!!!
とはいえ、今年はもう2024年。
「ブレードランナー('82)」が描いた未来が2019年だから、もうすでにそっから5年経ってる!!
なのに時代は、ゼロ年代に戻ろうとしてる。
いいのか?
円安は進み、物価がべらぼうに上がる一方で、賃上げのスピードはナメクジ並み。
そんな現実は置いといてなぜ見かけの風俗だけ戻ろうとする時代?????
ま、そんなゴタクはどーでもいいが、とにかくミニスカについてだ。
街を歩いいていて私ども男性たちが「あ! ミニスカ!」といちいち思うのはなぜだろうか。
はっきり言って珍しくはない。
さらに言うなら、ここ何年も繰り返し繰り返し流行してきた。
しかし、街でミニスカートの女性を見かけたら、ほぼ必ず
「あっっっ!!!」
と思う。
まるでUFOかネッシーでも目撃したかのように「あっ!」と思うのはなぜか。
たとえば私は外出中、柴犬を散歩させている人を見ると、いつも「あっ!!」と思う。
また、近所を歩いていて野良猫を見かけると、また「あっ!」と思う。
こういうものを見かけると、私は心のなかで岩合光昭になり、
「いい子だね~ かわいいねえ~」
と犬や猫たちを愛でる(触りはしない)。
犬や猫を見た日は、なぜかハッピーになる(写真を撮ったりもしない)。
それに近い感じでミニスカートの女性を見ると、「あっ!」となる。
岩合光昭になる。
これはなぜか。
なぜ、私ども(強引に一般化するが)はミニスカに魅せられるのか?
■ パンツが見えそうと思うから?
パンツが見えそう、あるいは(四つ葉のクローバーを見つけるくらいの確立で)ラッキーにも見えたことがあるので今日もよもや、と思うことは私どもがミニスカートに魅せられることの大きな理由なのだろうか。
まあ子どもの頃にこーいうのや
こーいうのとか、
こーいうのを
見ながら精神的にも肉体的にも性的にも成長してきた世代にしてみると、やはり「何かが見えそう」という期待感には心を動かされる。
しかし、問題がある。
いわゆる「パンチラへの期待」だけが、果たしてミニスカートの魅力なのだろうか、ということだ。
つまり、パンツを覆い、隠している布切れとして、ミニスカートは魅力を放つのだろうか。
パンチラへの期待感を煽るために、ミニスカートは存在するのだろうか。
否。
パンツを見たいだけなら、パンツを見れば済むだけの話だ。
「パンツが見えそうな期待」が「ミニスカートの魅力」とイコールであるという考えを私は否定したい。
では、ミニスカートが好きな私どもは、女性の下着に対するフェティシストだというのか。
否。
それは違う。
街でミニスカートの女性を見るたびにその下着を見たいと夢想する……それは行きつくところ、盗撮マニアや下着泥棒などに連なる犯罪的性癖だと言わざるを得ない。
以前、夭折した私の友人の手記を ↓ こちらで発表したが、
この手記の中にもあるように、彼は「JKの紺ハイソックスを愛した男」ではあったが、「JKが紺のソックスを履いていること<状況>」そのものを愛していたのであって、「JKが履いている紺のハイソックス<オブジェクト>」に興味を持っているわけではなかった。
つまり、「ミニスカートを女性が履いている」という事実そのものに私どもは欲情を掻き立てられるのであり、それは「パンチラの可能性への期待」とは無縁だ。
だいたい、今日びミニスカートを履くような女性はスカートの下にこの手のものをつけている。
つまりミニスカートの真下には、いわゆるふつうの下着としての“パンツ”はない。
ないのだ!!!
わかるだろう? ステージに立つアーティストやアイドルたち。
みーんな見せパンを履いている。
ステージに立っていない女性もみんなそうだ。
だからきょうび、「パンツが見えそうな期待」自体が成り立たないというわけだ。
ミニスカートの下にいわゆる“パンツ”を履いているのはAVかオタアニメの中だけのことだ。
■ 太もも、膝小僧、膝の裏
パンチラの可能性がミニスカートの魅力ではないなら、では何がミニスカートを魅力あるオブジェクトたらしめているのか。
それはすなわち、パンチラを「隠している」からではなく、「見せている」部分のほうがミニスカートを魅力ある存在たらしめている。
つまり、
太ももであったり(当然だ)
膝の裏であったり
ふくらはぎであったり
これらが露出し、街のなかを闊歩していること自体が、わたくしどもを魅惑する。
ただ間違ってはいけないのは、太ももや膝小僧、膝の裏それぞれに対するフェティシズムの集合体がミニスカートの魅力ではない、ということだ。
ではなにか。
あなたは太ももや膝小僧が脹脛が切断された状態でお盆に載ってたりしたら、それで興奮するのか。
HENTAIなんと違いますか。
■躍動、心意気、感謝、敬意
ミニスカートという媒体は、女性の太ももや膝小僧や膝の裏、脹脛を露出させ、それが街で躍動し、地面を踏みしめ闊歩している姿を私どもに見せつけてくれる。
私どもは単にミニスカートにパンチラの可能性や、太腿などの露出だけを見ているわけではない。
それが脚の躍動を演出する舞台装置だからこそ、魅せられるのだ。
そうして健康的かつお転婆な脚を「見せて歩きたい」という女性の意図に、思いに、心意気に感動するのだ。
「ありがとう~ありがとう~」
今日も私たちは街に出て、ミニスカートの女性の脚を拝む。
藤岡弘、の心情で。
季節は夏を迎えようとしている。
この太陽の季節、脚を露出して街を歩きたいという女性たちの思いに感謝し、敬意を払いながら、私どもはミニスカートを愛でようではないか。
あ、ちなみに、ショーパンでも構わない。
むしろ私はミニスカートよりショーパンのほうが好きかもしれない。
と思っていたら、最近の海外セレブの間で流行っているのは、ノーパンツスタイルだというではないか。
流行るかね? 日本でもノーパンツスタイル。
流行ったらどうしよう?
たぶん私はさらに頻繁に街に出かけるようになるだろう。
ひょっとすると繁華街で路上生活するかもしれない。
街はエロい。
これはすべて、女性たちの主体性に依る。
これからもずっと、街がエロい空間であることを祈りながら筆を置きたい。
<了>