無防備だったから苛めたくなった、そうです。【1/4】
■
最初はキスだった。
それはわたしが、あまりにもぼんやりしていたから。無防備だったから。
それとも、そういう全体の雰囲気に本心を隠していたのがバレバレだったからかもしれない。
それがわかるくらい、物欲しそうな顔をしていたからかも知れない。
「ほずみさん、とんだことになっちゃいましたね……会社のみんなが、こんなほずみさんの姿を見たら何ていうかなあ……」
「あうっ……んっ……くっ……」
わたしは芝田くんから顔を背けた。
背けられるのは顔だけで、わたしはステンレス製の奇妙な拘束台の上に身体を固定されている。
腕は後ろ手に手枷で固定され、衣服はすべて脱がされている。
わたしは全裸だった。
膝の上と下をベルトで固定され、両足を大きく開かされた格好で。
ネットなんかで、たまにちらっとSM関係の画像を見たことがある。
画像の中では、何者だかわからない、誰とも知らない女性が、とんでもなくあられもない格好で縛り付けられ、虐められ、いたぶられていた。
見るたびにぞっとしたけれど、でも、
『よくまあこんなことやるよ。親が見たら泣くだろうなあ……』
と思っていた格好を、今、わたしがさせられている。
ほんのついさっき、少女時代からずっとあの部分を覆いかくしていてくれた股間の茂みさえ、きれいに剃り上げられてしまった。
わたしは泣いていた。
ここは柴田くんのマンションのリビングルーム。
部屋は殺風景で、家具らしいものはほとんどない。
ただ、この拘束台以外は。
その台の上に縛り付けられてわたしは、泣いている。
まるでいじめられている少女みたいな情けない顔だったろうと思う。
「なっ……なんで? ……なんでこんなこと……こんなことするの?」
「ほずみさんがかわいいからですよ……いじめたくなっちゃうくらいに……ぼく、こう見えていじめっ子なんですよ……とくに、魅力的でかわいくて、無防備な女性に対してはね……」
「……でっ……でも……」わたしは芝田くんの冷たい笑顔を見た。「……でも、なんでわたしなの? ……なんでわたしに目をつけたの?」
「だから言ったでしょう」芝田くんがわたしの右斜め前の床に腰を下ろす。「ほずみさんが無防備だったからですよ……だから僕としては、放っておけなかった」
眼鏡の奥の目は、楽しそうに笑っていた。
紺のスリムなパンツのまま、ボタンダウンのシャツの前ボタンを上二つまで開けて、ほどいた紺色のニットタイを左右にだらしなくぶら下げているけれども……それでもやっぱり、彼の見かけはいつもと変わらない。
すてきな男だ。
ただ、このすてきな男が、どんな冷たい心をその内側で飼い慣らしていたのか、わたしには見抜くことができなかった。
だから今、こんな目に遭っているのだけど。
「こんなこと……しょっちゅうやってるんでしょ? ……気に入った女の子に目をつけたら、あんなふうにお酒で酔わせて、意識フラフラにして、部屋に連れ込んで……いつもこんなことしてるんでしょ?」
「それは、心外だなあ……」芝田くんが四つん這いでわたしに近寄ってくる。まるで猫みたいに静かに。「僕が、そんな男に見えますか?そんなに、軽い男に……」
「か、軽いって……そんな生易しいもんじゃないでしょっ!」
かっとなって、彼を睨んだ。
全裸のまま、奇妙な器具の上に縛り付けられて、ヘアを剃られたいちばん恥ずかしい部分を、むき出しにしたままで……
たぶん、そのときのわたしはとても滑稽だったろう。
確かに面白い見せ物だ。
だから、芝田くんが吹き出したのだと思う。
くすっ、と彼は、鼻を鳴らすように笑った。
芝田くんが顔を近づけてきた。
余裕の態度に、またかっとなる。
「ぺっ!」
気がつけば、わたしは彼の顔に、唾を吐きかけていた。
芝田くんは少しも驚いた様子は見せなかった。瞬きすらしない。
そして手の甲で綺麗な鼻筋のあたりにくっついたわたしの唾を拭うと、さらにわたしに顔を近づけてきた。
「……な、なにすんのよっ……や、やめてよっ……」
「……ひどいことするなあ……」
「ひっ……ひどいのはあんたでしょっ!」
「ひどいことをされてきたのは、僕のほうですよ……ずっと僕を、こんなふうに興奮させておいて…………ずっとですよ…………僕が入社してきた日から、今日までずっと……これまでほずみさんが、どれだけぼくによからぬ思いを抱かせてきたか、わかってますか? ……席が隣同士になってからは特にひどかった……『おはよう』と出社のときに言われたとき、『お疲れ』と退社のときに言われたとき、僕がどんなふうに感じていたか、わかりますか? ……パソコンの前でペンの端をくわえて、何か考え事をしているほずみさんの横顔を見て、僕がどんな気分だったかわかりますか? ……たまにほずみさんが着てくるぴったりとしたパンツのお尻のラインや、ブラウスの膨らみを見せつけられて、どんな思いを掻き立てられていたかわかりますか? ……デスクでお気に入りのカップから紅茶を飲む唇に、お昼のデザートのプリンを食べる唇に、何を想像させられられたかわかりますか? ……ときおり、机に突っ伏して、背中を伸ばして、1~2分仮眠を取るその姿に、かわいい寝顔に、僕がいったいどれだけおかしくなりそうだったかわかりますか? ……あなたが悪いんですよ、ほずみさん。これまでの、無防備のお仕置きを……たっぷりさせてもらいますからね……」
「そ、そんなっ……わたしがそんなこと知るわけっ……あっ……んっ……」
顎をつかまれて……そのままキスされた。
長い、長いキスだ。
舌を絡められた。
でも……自分から、舌を絡めていた。
数時間前、会社の飲み会の帰り、あの舗道でもキスされた。
この部屋に連れ込まれたときも、服を脱がされたときも、彼にキスされている。
すべて、先に舌を動かしはじめたのは、わたしの方だった。
そこから、本格的な辱めが始まった。
■
ちょっと話を巻き戻そう。
芝田くんはわたしの会社の同僚だ。わたしの二年後輩にあたる。
やさしくて、それなりに見かけもよくて、さりげなく、いやみなくお洒落で、なんとなく女性にはシャイな感じで……わたしは芝田くんのそんなところが好きになった。
とは言っても、つきあってどうこう、というのではない……
というか、わたしは彼のことが『好き』なのではなくて、『同僚として好感を抱いているんだ』と自分に言い聞かせていた。
会社でそういうことになるのは、何かめんどくさいことになりそうだし。
あの飲み会の帰りにキスされるまで、その思い……彼に対する“好意”は、胸の中にしまっていた。
それが恋愛感情であるのかどうか、あえて定義していなかった。
でも、芝田くんのことが、彼が会社でみんなに見せていた顔が、姿が、かたちが、わたしの中で甘くて暖かいピンクの綿菓子のように、ふんわりと広がっていたことは事実だ。
それはわたしにとって都合のいい解釈だったのかもしれない。
それはぜんぶ、わたしにとってメリットになることばかりだ。
女の子はみんな、そんなふうにして相手の外見はもちろん、人間的な『いいところ』をよせあつめて、その人のことを好きになる。
まあ男の子は、顔がキレイだとかスタイルがいいとかおっぱいが大きいとか、そんなところを基準として相手を選ぶのかも知れないけれど。
芝田くんが入社してきたときは、そんなに気にもならなかった。
わたしを含む、部内のほかの女の子たちもそうだったと思う。
多少、「あ、この子、いいわ……」くらいは思ったかも知れない。
何人かは、「ああ、ああいう感じのオシャレでシャイでウブそうな男の子にお姉さんがいろいろ教えてあげたいわ~」くらいの厚かましいことを考えたかも知れない。
女も独身である程度の歳になると、おっさんのような思考になる。
でもそれは、会議中とか書類作成の合間に、ふと頭に浮かんでは消える、ひまつぶしの妄想でしかない。
わたしにしてみても、最初はそうだった。
問題は、わたしがそこから抜け出せなかったことだ。
ほかの女の子たちはわたしよりずっと大人で、芝田くんのことを『ちょっといけている同僚』として扱い、接し続けた。
彼女たちがそれなりに彼に対する意識の距離を維持し続けたのに対して、むしろわたしは彼の気持ちに近づいていこうとした。
とくに、会社の席が隣になってからはとくに。
これも今となってはそう思うことだけど。
とにかく、彼の前では明るく振舞った。
もともとわたしは、それほど明るい性格ではない。どちらかというと、無愛想なほうで……男性社員に対しては必要最低限プラス、ちょっとした世間話しかしない。しかもごく儀礼的に。
だから、隣の席の芝田くんに毎朝『おはよう!』と挨拶をし、『ねえねえ、ゆうべアレ観た?』と昨夜観たテレビドラマの話を持ちかけ、『この前あの映画観たよ!』とか話したり(といって、一緒に映画を観に行こう、とは言わなかった)、『あそこのお店のビビンバ、めちゃくちゃおいしいよ!』と情報を提供したり(でも、一緒に行こう、とは言わなかった)、『最近、肩が凝っちゃってさあ……』とかどうでもいいことを言ってみたり……そんなふうに芝田くんに接しているわたしの姿は、同じ部のほかの女の子たちにはもちろん、男性社員のうちでカンの鋭い連中にしてみれば、いささか異様だったかも知れない。
というか、わたしが芝田くんに好意を持っていることはバレバレだったかも知れない。
それを胸の中にきちんと仕舞えていると思っているのは、わたしだけだったのかも知れない。
とはいえ、芝田くんはいつもにこやかに対応してくれた。
彼もわたしの気持ちに気づいていただろう。
でも、彼はそんなことは今夜まで、少しも表に出さずに、やさしく、ソフトに受け流してくれた。
話しかけるわたしに笑顔で応え、冗談を言って、一緒に笑い、わたしが語るテレビドラマの感想を、わたしが観た映画のなかで、彼が観た映画が一致すればその感想を語り、一緒に笑い、わたしの気分をよくしてくれた。
決して、『この女、俺に気があるに違いない』みたいな雰囲気を、表に出さないでくれた。
『ちょっと誘ったら、簡単にヤれそうだな。じゃあ誘ってみるか?』というような計算など、態度にも表情にも少しも見せなかった。
彼自身の部屋に連れ込まれ、こんな辱めを受けている今だから言えるけど、それはすべて、彼が用心深く、周到で、冷徹だったからなのだろう。
でも、わたしは、そんなふうに隣の席で、一緒に楽しい時間を共有してくれる芝田くんに、とても感謝していた。
わたし自身も、誘っているつもりなんてなかったし、今後も誘う気はなかった。
もちろん向こうから誘ってくれたら有頂天になってしまっただろうけど。 少なくとも、そんな雰囲気を彼に悟られないようには努力してきたつもりだ。
でも、芝田くんと一緒にいられる時間は、わたしにとってほとんど生活の中の癒しのようなものになっていた。
そういう感覚が「恋」の楽しみ、醍醐味だということが、しばらくそれを感じたことがなかったので、意識に登らなかった。
わたしの望みは、少しでも彼と一緒にいたい。それだけだった。
だから、普段はあまり出席しない、部署の飲み会にも出席した。
なぜなら、芝田くんがその会に出席すると言っていたから。
誰かが辞めるか、部に入ってくるかしたんだっけ。
それが飲み会のテーマだったような気がするけど、今となってはどっちでもいいし、思い出すことすらできない。
最近買った、かなりお気に入りのグレーのスーツを着た。
ジャケットの下はぴったりとしたカットソー、その下は、胸がちょっとだけ強調されるワイヤーブラ、スカートの下はもちろんブラとセットのパンツ。
アサマシかったと思う。
たぶん、数時間前のわたしは、ぜったいそんなことを認めないだろうけど。
流れで二次会のカラオケにも、三会のショットバーにも行った。
ほんとうに珍しいことだ。わたしがそこまで部署の飲み会に付き合うなんて。
部署の飲み会なんて、仕事の延長みたいなもんじゃないか。
だから、いつもは一次会にちらっと顔を出して、そそくさと帰っていたけど、その日はそうではなかった。
二次会にも三次会にも、芝田くんが積極的に参加したからだ。
芝田くんは、とてもお酒に強いようだ。
多少リラックスはしているようだが、普段とあまり変わらず、みんなと接している。
でも同じ部署の女の子たちは、かなり酔っている。
芝田くんに構い、ちょっと下ネタ入った話をしてからかい、頭をなでたり、叩いたり、脇腹をつついたり、ボディタッチもあからさまになっている。
わたしはそれを監視するような気分で見ていた。
目を離せなかった。
わたしが途中抜けしてしまえば、彼が誰かのところへ、どこか遠くへ、わたしが手を伸ばしても届かないようなところへ、行ってしまいそうで怖かった。
わたしはお酒をちびちびやりながら、遠くの席で芝田くんの様子をずっと見ていた。
一体、わたしって何なの、と思えて、とても虚しい数時間だったのを覚えている。
ところで、わたしはお酒に弱い。
当然のことながら、わたしはベロベロのグタグタになった。
お開きになる頃には、もうまともには歩けなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?