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監禁の追憶【5/6】「西田少女地獄【2】」

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■ 容疑者(逮捕前に死亡)が書き残した遺書より


 ろくでもない人生だったが、“終わりよければ全てよし”と言うじゃないか。
 おれはちっとも後悔なんかしていない。

 そりゃ、思い残したこともあるさ。
 いい車にも乗りたかったし、一度フォアグラも食べてみたかった。
 広瀬アリスにも会ってみたかったし、一度でいいからヨーロッパも旅行したかった。

 まあ、それらはすべて諦めるとしよう。
 どんな奴だって、やりたいことを全てやりつくして死んでいくわけじゃない。

 
 宮本比奈子とは、3日前の夜、駅前の噴水広場で出会った。

 広場には飲み会帰りか、これから繰り出すのか……たくさんの人間がいたが、比奈子が腰掛けている噴水の縁のあたりだけが……
 嘘じゃない……夜の闇のなか、ほかより少し明るくなっているように見えた。

 比奈子は実際の年齢より、ずっと大人っぽかった。
 下手をすると高校生くらいには見えたかも知れない。

 “美少女”なんて表現は陳腐に思えるくらい、比奈子は美しく、儚げだった。
 比奈子は薄いブルーのTシャツを来て、ジーンズに包まれた長い脚をぶらぶらさせていた。
 
 とにかく、近日中に死ぬことに決めていたおれは……迷わなかった。

 無視されれば無視されたで、一向に構わない。
 おれは比奈子に歩み寄り声を掛けた。
 
「や……や、やあ……」
 
 比奈子がゆっくり顔を上げて、おれを見る。
 とても大きな目で。
 黒目部分は大きいが、蜂蜜のように色が薄い。

 表情からは、何の感情も読み取れない。
 微笑むわけでもないし、嫌悪を露わにするわけでもない。
 そして返事もしなかった。

「と、隣に座って……いいかな」

 おれは注意深く、言葉を選んで話すことに決めた。

「どうぞ」

 平坦な、感情のない声で比奈子が答える。

「……こ、こんなとこで……な、何してんの? ……だ、誰か……待ってるの?」

 焦りが声に表れないように注意した。
 が、どもるのは仕方ない。昔からのくせだ。

「こ、これ……こ、これからデートかなにか?」

「……べつに」

 長い髪に隠れて、隣に座るおれからは、比奈子の横顔は見えない。
 そこからわずかに覗いた形のいい鼻と口だけが、ぼそぼそと言葉を発した。

「……き、きみ、い……いくつ?」

「あんた、ケイサツ?」

 比奈子の声には、敵意も怖れもなかった。

「ち……ち、違うよて……あ、あ、あん……あ、あんまり、き、君がが可愛いから……こ、こ、……声掛けてみただけさ」

 ちょっとすぎただろうか……?
 おれは固唾を呑んだ。

「“可愛い”って言ってくれてありがとう」

 またも比奈子が平坦に答える。

「こ……こ、こここ、……こっ……こ、高校生?」

「ううん」

「……じ、じゃ、じゃ、じ、じゃじゃ、じ……じ、じ、じゃあ……ち……ちゅ、ち、中学生?」

「ううん」

「……えっ……え、ええっ……ま、ま、まさかっ……し、し、しょ、しょう……小学生?」

「うん」

 これには驚いた。
 JKでもJCでもなく、JSだと??

 世の中、何かが少しずつおかしくなってきているのは感じていたけど、この子がまだ小学生だというのも、そのうちのひとつの事象だろうか。

「け、結構遅い時間だけど……ず、ずっとここで座ってるの?」

 なぜか、おれのどもりが少し収まっていた。

「さあ……飽きたらほかに移るけど」

「………ひ、ひょっとして……い、家出?」

「………ってほどでもないけど………」

 しばらく沈黙が続いた。

「……よ、よかったら………ほ、ほんとによかったらなんだけど……」

 おれは意を決して唾を飲み込んだ。
 なんと、おれのどもりがなくなった。

「……おれの家に来ない? ……どっかでご飯食べてからさ」

 はじめて比奈子は、おれのほうに顔を向けた。
 相変わらず表情からは、なんの感情も読み取れない。
 彫刻でつくったような仮面のような美しい顔が、おれの前にある。

「……それってつまり…………あれ? わたしとなんか、いやらしいことしようってこと?」

「え……」

 おれは戸惑った。
 “つまるところ”そういうことではあるけど……。

 いきなり急所に切り込まれたみたいで、かなり動揺してしまった。

「……い、いやそんな……やらしいことなんて……そ、そんな…訳でもないけど……」

「……ご飯、食べさせてくれるんでしょ? ……別にいいけど」

「ああ………ええと………その、やらしいことに関しては、その……おれ、あれだから、できないんだ………わかる?」

「“あれ?” ……あれって何? わかんないんだけど」

「……つまり、その……い、い、EDなんだよ……わ、わかるかな」

 おれはまるで、人が行き交う街頭で素っ裸に剥かれ、四つん這いの姿勢で拘束されて……数多の人が行き交うこの街のど真ん中で、奴隷主に鞭打たれているような気分になった。

「……ああ……」比奈子は薄く笑った。おれはその場で死んでもいいと思った「インポだよね? 知ってるよ。学校で習った」

 学校で習った? いくら今どきの性教育でも「インポテンツ」までは習わないだろ?

 思わず、おれは笑った。比奈子も笑った。

 おれたちは立ち上がると、駅近くにある、値段はさして貼らないが美味いと評判の小さな洋食屋に入った。

 おれは一番高いステーキを食べて、比奈子はオムライスを食べた。
 あまり会話はしなかったけども、人生の最後を飾るにはこれ以上ないくらいのすばらしい夕食だったと思う。

 食事を済ませるとマンションに帰り、比奈子がシャワーを使いたいというので、使わせた。

 その後におれも、シャワーで汗を流した。
 その晩はアイスクリームを食べて、二人で手をつないで眠った。

 人と手をつないで眠るのは、それが初めてだった。
 

 二日目、おれは比奈子と街に出かけた。
 比奈子に服を買ってやった。
 比奈子は出会ったときと同じような、薄いブルーのTシャツと、リーバイスのスリムジーンズを選んだ。
 たいして値は張らなかった。

「なんで同じような服を選ぶの?」とおれが聞くと、

「おなじかっこうをするのが好きだから」

 と比奈子は答えて、少し背伸びしておれに耳打ちした。

「……だからさ、今来てる服、どうしちゃってもいいよ。勃たなくても、気にしなくていいじゃん。勃たなくても、いやらしいことはできるでしょ?」
 

 目眩がした。夢でも見ているのかと思った。

 おれたちはいそいそとマンションに帰り、カッターナイフを遣って比奈子の服をずたずたにした。

 おれの興奮ぶりは正気の沙汰ではなかっただろうが、見たところ比奈子もすごく興奮していたようだ。
 まるでクリスマスプレゼントのように開かれた比奈子の白い裸身を、ひたすらなで回し続けた。

 ひととおりそれで満足すると、新しく買った服をまた比奈子に着せた。
 脚の長い比奈子に、スリムジーンズはとてもよく似合っていた。

「ねえ、カッターで脅してよ……目の前で全部脱げって言ってみてよ」

 比奈子が言った。

 素晴らしい提案なので、おれはそうした。
 

 その晩は、特上のうな重を出前で注文して、二人で食べ、一人ずつシャワーを浴び、またアイスクリームを食べて、手をつないで寝た。
 
 で、今朝だ。

 おれはかなり悩んだが、比奈子に頼んでみることにした。

「あのさ……その、イヤだったらいいんだけど………手と脚、縛っていいかな」

いいよ」比奈子はトーストを囓りながら言った「でも、痛いのはやだよ」

「……うん……わかってる……あと、君の身体に、これ塗っていいかな」

 そう言っておれはジョンソン&ジョンソンのベビーオイルを比奈子に見せた

「あー……これ懐かしい……」比奈子が言った「こんなの塗ると、コーフンするんだ?」

「……あ……うん、まあ………」

 おれは言葉を濁した。

インポって……たいへんなんだね。いろいろ工夫しなきゃなんないんだ……」

 比奈子に“インポ”と呼ばれることに、おれは少し倒錯的な悦びを感じていた。
 何か、思いついたように比奈子が言った。

「……あと、なんかしたいことある?」

「………その………か、か、かかかか……かっ……鏡の前でしてもいいかな………?」

「えー………?」さすがに比奈子は顔をしかめた「………それ、ちょっと恥ずかしいよ……」

「頼むよ。後生だからっ!」

 おれは手を合わせ、比奈子に深く頭を下げた。
 比奈子の足元に土下座した。
 その素足にキスしてもよかった。

「なんでも欲しいもの買ってあげるからさあっ!」

「………いいよ、欲しいもんなんてないから」比奈子が言った「わかった、しよ。鏡の前で」

「いいんだね?」

 バカみたいに声が上擦っていることに気づいた。

「うん……ほかには?」比奈子が牛乳を飲みながら言う「なんでもさせたげるよ。痛いこと以外は」

「じ……じゃあ……目かくしとかもいいかな」

「あんたが目かくしすんの?」

「……違う、君にするんだよ」

「へえ………そんなんでコーフンするんだ………いろいろ勉強になるなあ」

 比奈子はそういって、また笑った。

「いいよ、目かくしも。この変態

 神様はいないと思うが、最後の最後でこのような幸運に巡り会えたことに関しては……
 何かふしぎな運命を感じざるを得ない。

 おれは比奈子にやりたいことのすべてをやった。
 もちろん、インポテンツが治るまでの奇跡は起きなかったが。
 


 今はもう夕方で、比奈子はさすがに疲れたのか、ベッドで眠っている。
 おれはキッチンテーブルでこれを書きながら、既に大型の裁ち切りバサミを傍らに置いている。

 ほかにもっと楽な死に方があるだろう、と自分でも思う。
 しかし、おれの頭からは、このハサミで自分の喉を突き刺すことのイメージが離れない。

 これは、おれの子どもの頃からのイメージだった。
 死ぬときは、必ずハサミで喉を突き刺して死ぬんだ……

 何故だかおれは、その衝動から逃れることができなかった。
 

 このハサミは、大阪・堺の名工が作った高級品だ。
 おれの人生の最後を飾るに、ふさわしい……というか、もったいないくらいの逸品だ。
 

 さて、比奈子が起きてくるまでに、筆を置こうと思う。

 筆を置いたその手で、ハサミを取り上げ、床に仰向けに寝る。
 そして上から、喉仏を一気に突き刺す。
 そして、おれは死ぬ。
 
 いい人生だった。

 母さん、悪いけど先に逝くよ。
 姉さん、甥の顔も見に行かずに悪かった。

 それから父さん……おれは今でもあんたを憎んでいる。
 なんで憎んでいるかは、あんたが一番知ってるはずだ。
 

 じゃあ、ほんとうにさようなら。
 おれは、おれの人生を生きた。
 
 最後に比奈子へ。
 どうもありがとう。
 
 
 

 ~重里 悟より

【最終話】はこちら


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