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継 父 と 暮 ら せ ば 【2/5】

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 布団の中でごそごそしながら、あたしは昔のことを思い出していた。

 あたしとお義父さんの関係がはじまったのは、7年前……あたしが15際の時だった。
 
 お母さんが死んで3年……男の人っていうのの我慢は3年が限度ってことなのだろうか?

 いや、そんなことを言うとお義父さんが可愛そうだ。

 母が死んだ後、お義父さんはほんとうにあたしに優しくしてくれた。

 あたしを甘やかしたいだけ甘やかし、あたしを叱ったりなじったりすることは一度も無かった。

 まるであたしはお姫様で、お義父さんはその家臣。

 あたしははっきり言って戸惑った。
 そんなふうに大事にされたことがなかったから。

 母に死なれて可愛そうなお父さんに、出来るだけ心配や気苦労を掛けないようにしようと、子ども心にも考えていたので、そんなにも甘やかされるのはちょっと心外だった。
 
 あたしは出来るだけいい子でいようとしたし、勉強だって人並み以上に頑張った。
 そんなあたしに、お義父さんはいつもこう言った。
 
「無理しなくていいんだよ、お前はお義父さんの大切な大切なたったひとりの娘なんだからね」
 
 言われて悪い気はしなかったけど、なんか違和感があった。

 違うのよ、お義父さん。
 あたしは、もっとお義父さんにいい子だって思われたいの。

 ようするに、そういう『いい娘ぶる』ことによって、もっとお義父さんに好かれたいの。

 そりゃ、何にもしなくてもそんな風に言ってくれるのは嬉しいけどさ。
 それじゃあたしの努力の甲斐がないじゃん。

 でもそんな思いを言葉にすることはなかった。

 それに……よその家庭のことはよく知らないけれども、どこの家の子どももみんな、あたしと大して変わらないことを考えているもんなんだろうなあ……と勝手に考えて納得していた。
 
 お義父さんはあたしにいつも服を買ってくれて、しょっちょう美容院にも行かせてくれた。

 お義父さんがあたしに着せたがる服は、今から思えばかなり保守的で……
 白いブラウスにグリーンのチェックのスカートに紺のハイソックスにスタンダードなローファー、とか……はっきり言ってかなりダサかったけれども、あたしは文句を言わずに着た。

 お義父さんはあたしはショートカットが似合うから、ということでいつもショートカットにすることを薦めた。

 あたしは自分でもそのさらさらの髪質に自信があったので、一度肩の下あたりまで伸ばしてみたいなあ……とは思っていたものの、お義父さんを喜ばせたくてずっとこのショート・ボブを守り続けている。

 まあ、確かに、自分で言うのもなんだが、よく似合っているのだけど。
 

 それにしても不思議だった。
 

 お義父さんがあたしに着せたがる服、あたしに薦める髪型は……死んだ母自身の趣味とは全く正反対な代物だった。

 そのことには当時からうすうす気づいていた。……それは不可解ではあったけれども、何故かあたしの心を安心させ、満足させた。

 お義父さんはあたしを、死んだ母の代わりであるとは思っていない。

 お義父さんはあたしに、死んだ母の面影なんかを求めていない。
 それを感じるたびに、わたしはいつも秘かにニンマリと心の中で笑った。
 

 あたしは、死んだお母さんに勝ったんだ……。
 

 根拠なく、そんなことを考えた。
 死んだお母さんがわたしのこんな思いを知ったら、どんな風に思うだろうか。それを考えると、愉快でならなかった。

 多分、悔しがっているだろうな、とあたしは意地悪に考えてみる。

 たぶん、母が生きていたら、ここまでお義父さんに愛されているあたしに、酷く嫉妬したに違いないと思う。

 いや、母が生きていたら、あたしはこれほどまでにお義父さんから愛情を注いでもらえただろうか?……多分、そんなことは無かっただろう。

 それが判っているだけに、死んでしまった母に対するあたしの優越感は大きかった。

 あたし、歪んでるだろうか?
 

 そんな根拠のない優越感にあたしが浸りきっていた15歳の時だった。
 

 あたしは学校でちょっとしたトラブルを起こした。

 トラブルといっても大したことではない。
 ちょっと、クラスメイトにケガをさせた程度のことだ。

 そのクラスメイトの名前は、室田と言った。
 クラスでも人気のある、スマートな美人だった。

 しかし、村田の心の中はクラスの誰よりも腐っていた。
 底意地が悪く偏執狂的で……ワガママで傲慢だった。

 クラスの女子の中でもリーダー的だった室田は、いつも何か人に威圧的で……ぎらぎらした目は常に自分の優位性を実証するための生け贄を求めているようだった。

 室田は週代わりでいじめの対象を探しては……
 自分と、その取り巻きで生け贄を好きなように弄んだ。

 誰も室田には反抗できなかった……室田がいじめの対象にするのは、男女を問わなかった。

 室田とその取り巻きに目をつけられたら……
 もうその生徒には人間的な生活は望めないに等しかった。

 不登校になるか、もしくは以降、人間的な尊厳は全て放棄し、室田とその取り巻きに媚びへつらって生きるかのどちらかだ。
 
 あたしは室田のことが大嫌いだった。
 
 はっきり言ってあたしはクラスでも外れものだったので、いつかは室田一味の攻撃対象に自分が選ばれる時が来るだろうな、っていうのは肌で感じていた。

 あたしがその対象の後回しになっていたのは、多分あたしが当時のあたしがあまりにも外れものだったので、室田サイドとしてもあたしが何を考えているのか、さっぱりわからなくて不気味だったからだろう。

 人間も動物だから、補食しやすい相手とそうではない相手は本能で判る。
 
 でも、ある日の昼休みのこと、室田の取り巻きの女子2名が、クラスの隅っこでお弁当を食べているあたしのところへやってきて、ニヤニヤしながらあたしを見た。

 あたしは顔を上げた。

 取り巻きのずっと向こうで、ニヤニヤしてこっちを腕組みしながら見ている室田が居た。

 たぶん彼女、あたしがあんまりにも訳わかんない存在だったので、自分では手を下さず、手下にあたしへの斥候の役目をやらせたんだろう。
 まず、あたしはそこにカチンと来た。
 
「ねえあんた、血の繋がってないお義父さんと、ずっとたったふたりで暮らしてるんだって……?」室田の手下のうちの、デブが言った。そいつも室田一味に散々いじめ倒されて、室田グループの一味に入った負け組のひとりだった。「……みんな言ってるよ。あんたが親父とヘンなことしてるって」

「……ヘンなこと?」あたしはお義父さんが作ってくれた卵焼きの囓り掛けを弁当箱に戻しながら、そいつを見上げた。「……なに? ヘンなことって………? 言ってみてよ」

 あたしは、ゆらり、と席を立った。
 それだけで室田の取り巻き二人は完全にビビったようで、それぞれ一歩ずつ後じさりした。

「……みんなって、誰が、だ、れ、が、言ってんの………?」あたしはそのまま、室田を指刺して言った「みんなって、あいつが言ってるだけでしょ?………あ、い、つ、は、“み、ん、な”なわけ?」

「……ってか……」

 取り巻きは下を向いて口ごもった。
 
 あたしは取り巻き二人を両側に押しやって、室田にズカズカと歩み寄った。
 予想外の展開に、明らかに室田は動揺していた。

 すっごくいい気分だった。

 彼女の造りの美しい顔が、困惑に歪むのを見るのは。
 相手の恐怖の匂いを嗅ぐのは。
 正直言って、あたしはすごく、サディスティックな気分になっていた。

「ねえ、教えてよ。ヘンなことって……なに?」

 あたしは室田の胸ぐらに掴みかかり、そのまま床に引き倒した。
 室田の身体は毎晩あたしが小学生のころに寝るとき抱いていたぬいぐるみよりも軽かった。

「ねえ、教えてよ……ねえ、ねえったら………ヘンなことって何よ?」

 あたしは室田が情けない泣き声を上げるまで、室田の頭を床に叩きつけ続けた。

 あたしの突発的暴力衝動が発露したのは、後にも先にもそれっきりだった。  

 産みのお父さんは記憶にあまり残っていないが、そんなに感情を露わにするような人では無かったように思う。

 あたしの中にこんなに衝動的で暴力的な性格があったことには自分でも気が付かなかったけれども、それは多分、死んだ母から受け継いだものだったのだろう。
 
 駆けつけてきた教師3人掛かりで室田から引き離されたけれど……あたしは自分のやったことを少しも後悔していなかった。

 それに、“怒りに我を忘れていた”って感じでもなかった。
 室田の頭を床に打ち付けながら、あたしの頭はどこまでも冴えていた。
 室田が泣くまで、止めるつもりはなかったし。

 彼女が泣き出したときに感じた爽快感を何と表現すればいいのだろう。
 とにかく、最高の気分だった。
 
 しかしあたしはちっとも自分のしたことを反省してはいなかったが、あたしが起こしてしまった問題はそれで収まる筈はない。

 学校側の連絡を受けて、室田の母親が飛んできた。
 職場にいたあたしのお義父さんも、学校に呼び出された。

 学校に呼び出されたお義父さんは、本当に“取るものも取らず飛び出して来た”って感じで、真っ青な顔をしていた。

 あたしはそんな様子のお義父さんを見て、はじめて自分のしてしまったことの重大さに気づいた。

「いったいお宅では………」室田の母親がお義父さんに言った。声が裏返っていた。「娘さんにどんな躾をしてらっしゃるの…………????………男の子みたいに、言葉ではなくて力で相手に思い知らせろって……そんな風にしつけてらっしゃるの………???………一」

「も、申し訳ありません!!!!」
 
 いきなり、お義父さんはその場に土下座をした。
 
 あたしは正直言って、生まれてきてこの方、はじめて味わうようなショックを受けた。
 
 室田のお母さんも、先生たちも、呆気にとられていた。
 
「申し訳ありません!! …………全ては……全てはわたしの責任です…………!!!!………お許しを………どうか……お許しください!!!!!!」
 
 そう言ってお義父さんはぐりぐりと額を職員室の床に擦り付け続けた。

 あたしははじめて、そこで泣きたくなった。

 ……お義父さん、なんでそんなことすんの……?
 でもあたしの口からは、言葉は出て来なかった。

 言葉を失っていたのは、あたしだけじゃなかった。
 大袈裟に頭に包帯を巻かれた室田も、そのお母さんも、先生たちも、みんなが黙り込んでいた。
 
「お許しください………どうかお許しくださいいいいいいいい……………」
 
 お義父さんの慟哭だけが、職員室に木霊した。
 あたしは泣きそうになったけど、泣かなかった。
 
 お義父さんの土下座が効いたのか、あたしは1週間の停学というたいへん甘い処分を下された。
 その日はお義父さんと一緒に、早退することになたった。
 
 
 学校からの帰り道、あたしとお義父さんは無言で並んで歩いた。

 お義父さんは何も言わなかった。あたしも何も言わなかった。
 お義父さんを横目で見ると、床にすりつけたおでこが赤く擦りむけていた。

 あたしはすごく屈辱的な気分になった。

 お義父さんは、何であんなことをしたんだろう?

 あたしは悪いことなど何もしてないのに。

 室田は、卑怯にも取り巻きを使って、あたしとお義父さんの生活を侮辱した。
 だから、連中に当然の報いを与えただけだと、未だに思っていた。

 でも、あたしがしたことは、お義父さんにあのようなどうしようもなく自虐的で屈辱的な行動を取らせた……それは紛れもない事実だった。

 あたしが悪いの? 
 いや……そうじゃない。

 間違っているのは、お義父さんだ。
 あたしは帰り道の道中、そればかり考えていた。
 
 家に着いても、お義父さんは悲しそうな顔をするばかりで何も言わなかった。

「おでこ……消毒しなきゃね」

 あたしはお義父さんに言った。

「ああ」

 お義父さんは消え入りそうな声で答えた。

 あたしはキッチンテーブルにぐったりと座り込んだお義父さんの前に薬箱を持ってきて、手当をはじめた。

 マキロンを吹き付けて、ティッシュで傷口を拭いながら……何かお義父さんに言うべきことがないか、頭の中の言語野をひっくり返して言葉を探していた。
 
 散々頭の中をかき回した結果、言うべき言葉はたったひとつしかないことに気づいた。

 始めからわかっいた結論だった。
 しかし……それを口にするのは余りにも不本意だったが。

 “お義父さん、ごめんなさい”

 あたしの頭には、その言葉しか浮かんでこなかった。
 やはり、あたしはお義父さんのことが好きだし、この場で言うことと言えばそれしか見つからない。

 あたしは唾を飲み込んでから、ゆっくりと口を開いた。
 
「お義父さん……」

「今日のお義父さん、格好悪かったかい?」

 いきなり、お義父さんがあたしの言葉を遮った。

「えっ……?」

「今日のお義父さん、とても格好悪かったよなあ………わかるよ。さゆりがお義父さんを軽蔑してるのは。……娘の前で土下座するお義父さんなんて、格好いいわけないよなあ……」

「……そんな」

「……ごめんよ。お義父さん、さゆりにも恥かかせちゃって……さゆりが正しいのは判ってるんだ。でも。お義父さんは……お前を守りたいんだ」

「………」

 あたしはなんだか……ちょっと下品だけれど……それに“じゅん”ときた。

「……お母さんが死んでから、お前には随分、辛い思いをさせてきたと思う。だから、今日さゆりがしちゃたことは、お義父さんの所為だと思ってる………ご免よ……ほんとにご免よ……」

「……お義父さん………」いきなり、お義父さんがあたしの手を握りしめた「……お義父さん??」

「……お義父さんは、お前を愛してるんだよ。だから、あんな格好悪いことをしたんだよ。わかってくれるかい?」

 お義父さんはあたしの手を握ったまま、立ち上がった。
 すごく強い力で、あたしはその場に引っ張り上げられた。

 ……え? ……なんだかすごく、ヤバい感じがした。

「お義父さんはお前のことを、ものすごく愛してるんだよ。さゆりためなら、死んでもいい」

「お……お義父さん………んっ」

 いきなり、お義父さんにキスされた。
 
 そのままお義父さんはあたしをソファのところまで押していくと、キスしたままあたしを押し倒した。

 お義父さんは真っ赤に目を充血させて、物凄い鼻息を立てていた。

「……お前を、愛してるんだ……愛してるんだよおおお…………」

 お義父さんは激しくあたしの首筋や耳たぶに、キスの集中爆撃をした。
 
 ええ? ……って……愛しているからって………なんか違うんじゃない!?
 
 あたしはそう思ったけど、あんまり抵抗しなかった。

 実を言うと、あたしもすごく亢奮していた。
 
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