五十嵐旬さんインタビュー「自分を、相手を、世の中を知りたい」(前編)
3月8日、
3月6日から4月7日まで
芸術村で個展「有為転変」を開いた
西会津町出身のアーティスト
五十嵐旬さんにお話を伺いました。
大学進学を機に地元を離れた五十嵐さん。
いま、西会津に何を思い、
どんな表現が生まれるのでしょうか。
自分とは何者なのかが知りたい
感情を絵にする
小さい頃から絵を描くことや物をつくることが好きだったという五十嵐さん。中学で野球部に入部してから大学時代までは絵を描くことから離れていたと言います。
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そのあとに、どういうきっかけで制作活動をはじめたのでしょうか?
五十嵐さん
2年くらい前の、社会人3年目のときに福祉系のベンチャー企業で1年だけ人事の仕事をしていたことがあって。
数字を追っていくっていうよりも、福祉とは何かとか、一人ひとりの利用者さん、障がいのある方の生きやすさってなんだろうかっていうのをずっと探求しながら、価値を作っていくような会社だったんです。
それまでは野球のフィールドとか営業でトップを取るとか、ずっと勝ち負けや成果ばかりに目を向けてそういうのが価値だって思ってたんですよね。
でも、その会社の文化に触れて、そうじゃない価値の追求の仕方があるって知って、面白いな、僕はこういうのやりたいなって思ったんですよね。
だから、携わったのは1年くらいでしたが、その会社の文化に自分がいい具合に染まって。
で、本当に自分がやりたいこととかつくりたい価値ってなんだろうって考えたときに、もっと自分の、個人の表現がしたいと思ったんです。
ー
なるほど、、。
五十嵐さん
それまではどっちかって言うと、処理とか事務的な作業とかそういうのばかりをやっていたんですけど、もっと自分の心の中の、自分にしか表現できないものをアウトプットしたいってなって。
その時に、昔絵を描いていたことを思い出したんですよね。
それでペラペラの紙に、自分の今の感情、、。
その時は愛情っていうものを表現したいってなって、僕なりに愛情を抽象画で描いてみたんですよ。
そしたら面白かったんです。
それの延長線上でずっとやってる感じなのかな。
だから、ここ(展示)にあるのは全部自分の感情なんです。
ー
へえ、、!そうなんですね。
五十嵐さん
例えば、今の自分の気持ちを歌にしますっていう人いるじゃないですか。
歌詞つくって、声とかで表現をして。
その人の気持ちが伝わってきて感動したとかあると思うんですけど、僕はその「感情を絵にする」みたいなことをやってるのかもしれないですね。
物語をつくる
五十嵐さんは制作を始めて1年くらい経った去年の6月ごろに、アート活動を全力で応援してくれている仲間の協力も得て、一緒に個展を開催したそうです。
それがすごく楽しくて、そこで自分の道が切り替わったと話します。
ー
その楽しさってどういうところに感じたんですか?
五十嵐さん
1つは、”聞いたことないようなことをやる”みたいな、それをやるにはどうすればいいのかを自分で考えて、形にして、見て。
それをお客さんとか、他者が見て、「面白いね」とか場合によっては「汚い」とか、誰かの評価を目にするっていうこのプロセスがすごく楽しかったなって。
やっぱり企業とかにいると、「これをやってください。」、「はい、わかりました。」って一定の基準や求められてる成果、つまり誰かの期待に応えていくようなスタンスだったんですが、
そうではなくて、もう何にも分からないけど、これをやったらこんなことが起きるかもしれないみたいな想像の域で、誰もやったことも聞いたこともないようなことをやって、その後の様子を見る。
それがすごく楽しかった。
簡単に言うと、真新しいことをするのが楽しかったんだと思います。
ー
なるほど。
五十嵐さん
その個展は北海道でやったんですけど、当時コロナの時に使われたアクリル板が廃棄処分されるって問題になってたんです。
それで、札幌市内の飲食店とか企業に飛び込んで回収したアクリル板を使ってつくった作品で個展をやりました。
そんなことを札幌でやってる人はいなかったのもあって、面白いことになると思って開催したら、北海道放送局が来たりとか、いろんな人が注目してくれて、
あーこういうふうに1つのアイデアでいろんな人が巻き込まれていって、それで新しい価値が生まれるところまで行くんだ、って。
ー
作品をつくる、それを観てもらうってだけじゃなくて、もっと俯瞰した、、、?
五十嵐さん
そうですね、流れというか、物語。
本で見たらすごくワクワクするような物語を自分でつくっていくみたいなことが面白かったし、
つまり、個展をやることは目的ではなく手段で、どっちかっていうと、面白いこととかワクワクすることをやるのが目的になってて。
じゃあどうやってワクワクできるかって考えて、それで、アクリル板を使ってコロナの時代が終わったことを象徴させるとかって意味づけをしました。
そしたら放送局で流れたそのテレビを見て、 百何十km離れてるところから来てくれた方がいて。
その人が作品を観て、めっちゃ感動して帰ってくれるみたいな。
そういうのがひとつの物語に思えて、極端な話ですけど、ひとつの映画を自分でつくって自分で見る、みたいなことが面白かったです。
それが面白いという感覚があるから、今回だって、地元の西会津町で個展をする。
で、自分の集落のおじいちゃんおばあちゃんが観に来てくれる。
そこで過去の、自分が小さかった時の話をしてくれたり、いつの間にこんなに大きくなったんだー!って話したりして、「ああ、 なんかしみるな」ってこれも物語で。
そういうのがいかに面白くあれるかってことをずっと考えてる感じですね。
自分の感性を見てみたい
ー
今回西会津で個展を開いたことで、今後活動するうえで変わりそうなこととか、 深まったことはありますか?
五十嵐さん
めっちゃあります。
まずは、もっと地元の人とコミュニケーションをしたいと思って。
ちっちゃい時から住んでましたけど集落の近所の人たちとそんなに深くはコミュニケーションをしてなくて。
だから、例えば今何が好きなのかとか、何が楽しくて今西会津にいるのかとか、そんなことが一切わからないから、そういう細かいところを聞きていきたいしもっと知りたい。
この町のことを知ってるようで全然知らないってことがわかったから、もっと西会津町を知りたいし、もっと西会津に住んでる人の今の気持ちを聞いていきたい感覚が今一番強いです。
生まれ育った場所っていうのもあるし、自分のルーツなので。
結局、自分が制作活動してて一番何をやってるかっていうと、自分っていうのは何者なのかが知りたいわけですよ。
そこの知的好奇心が一番強くて。
五十嵐さん
こういう表現をしてるのは、自分の中に浮かび上がってくるこの感覚ってなんなんだろう、みたいなことを知りたいがゆえに制作をしてる感じなんです。
自分とは何者なのか、自分って一体どういう人間なのかが知りたいから制作活動してるってことはそのヒントは地元西会津にあるかもしれないですよね。
だってここで生まれ育ってるから。
西会津の人とか自然の恵みがあったからこういう感覚を持ってるのかなと思うとここで色々調べたいって思います。
五十嵐さん
さっきも言ったみたいに、僕が表現をするのは、自分の感覚を理解したいからで、五十嵐旬が何者なのかを考えた時に、僕を構成してる要素ってなんだろうって考えるんです。
手足があって顔があるから五十嵐旬なのか。
これが好きでこれが嫌いって自分の好き嫌いがあるから五十嵐旬なのか。
何をもって五十嵐旬なのかがわかんないんですよ。
五十嵐さん
だから僕はいろんな感覚を絵に表現しています。
何かをした時に悲しいと感じるとかっていう感性みたいなもの、それが魂というか、僕っていう存在なんじゃないか。
そうなると、その感性を使ってこれ(絵)を表現してるってことは、これはもうもはや自分そのものなのかもしれない、となります。
感性が僕なのかもしれない。
感性を使って表現してるってことは、僕をここに投影してるのかもしれないって。
なので、僕の感性を見てみたい、みたいな感じかもしれないです。
自分を知りたいから、自分の感性を表現してるんです。
ー
なるほど、、!
五十嵐さん
だから(作品を観た人に)こういうふうに感じるとかってアウトプットしてほしいんです。
自分の感性を見てもらってるわけじゃないですか。
自分ではわからなくても誰かに見てもらうことで、ああそういうふうに見えてるんだって理解できることもあると思っていて。
例えば、、歌とか好きですか?
ー
好きです!
五十嵐さん
ことりさん(筆者)が歌声とか曲調とか自分なりの表現で歌を作ったとして、それってめっちゃアウトプットして、表現するじゃないですか。
その時に、ことりさんの歌声ってすごく気持ちがいいよねって言われたら、 なんか自分の感性を褒められてるみたいな気がしませんか?
感性を評価されてるみたいな。
ー
なるほど、、
五十嵐さん
感性を評価されてるっていうのは、 自分のすごく深いところの自分を見てくれてる感じじゃないですか。
ってなると、例えば、可愛らしいよねとかって外見を評価されるよりも、なんかすごく、あ、この人自分のことを理解してくれてる!ってなりません?
ー
なります!!
五十嵐さん
なりますよね、なんかそんな感じ。
だから、作品を観た人がこういうふうに感じましたって言ってくれたことがまさに自分が今感じていたことだったりするとなんか、嬉しい。
ー
じゃあ、自分を理解したいっていうことと合わせて、他者と深く繋がりたいっていう気持ちもあるんでしょうか?
五十嵐さん
それはめっちゃあります。
ただ、他者と深く繋がりたいからつくっているっていうよりも、結果的に作品が他者と深く(相互)理解できるアイテムになっているように感じます。
(後編へつづきます!)