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五十嵐旬さんインタビュー「自分を、相手を、世の中を知りたい」(後編)

3月8日、

3月6日から4月7日まで
芸術村で個展「有為転変」を開いた
西会津町出身のアーティスト
五十嵐旬さんにお話を伺いました。

大学進学を機に地元を離れた五十嵐さん。
いま、西会津に何を思い、
どんな表現が生まれるのでしょうか。

前編に引き続き、
「五十嵐さんの見ている世界」を覗いていきます。


表現することで自己理解・他者理解ができる


感情を抽象画に表現しているというお話ですが、ひとつひとつの作品はそれぞれ全然違う感情なんですか??

五十嵐さん
全く違うんです。
それが今回の「有為転変」っていう(個展の)題名にも直結してるんですけど、常に僕は変化してて一定じゃないから、1つのテーマでも、例えば愛情って言っても、次の日には愛情の感じ方が変わってたりするんです。

だから作品には全部違いがあって、テーマが違ったりその時々の状態やストーリーが違ったりする中で生まれたのでストーリーと意味合いがひとつひとつにあります。


なるほど、、。
日々過ごしている中でどういう時に描くモードに入るんでしょうか?

五十嵐さん
やっぱり常に描けるモードにあるわけではないです。
日常生活とか生きていく中での感情を表現してるわけですが、感情って言っても、深い悲しみとか、深い喜びとか、エモい感じとか、いろんな感情の振れ幅によって、あ、これ表現いけそう!って思う時もあれば、全然感情が動かなくてちょっと微妙かもって思う時もあります。

ここに(展示して)あるのは全部めっちゃ自分の感情が動いて、くーーーっ!!ってなってる時に自分の感性をフルマックスに使ってつくった作品なんですね。

(感情を)めっちゃ感じて味わい尽くせば、大体のイメージというか、作品のビジュアルみたいなものがある程度浮かんできて、それをすぐに描いてます。

うん、、。そんな感覚あります??


そうですね、、。
私の場合は嬉しいことや悲しいことがあった時は日記とかに書いてるんですけど、文章に落とし込んだら流れるというか、すっきりします。

五十嵐さん
いいですね。
だからことりさんは、感情が動くと文字に表わせる、言語で表現できるってことかもしれないですね。

そういうのって違いがあるからわかるじゃないですか。
僕とパートナーは、毎日毎日自分との違いみたいなことをひたすら話していて、めっちゃ話してようやく自分の特徴を掴んでくれて。

ああ、(自分と違って)パートナーはそういう時に文章に起こしたいんだ、しかもそれを音のない静寂な空間でやらないと表現できないんだ、とかって他者理解すると同時に、
僕はどうやら勢いなんだ、感じたらすぐそれをぶつけるような感覚で絵にするな、っていうふうに自己理解していく。

やっぱり言葉でも絵でも歌でも、自分の中に湧き上がってくる何かを表現するっていうのを通さないと、 本当の意味で自己理解も他者理解もできないと感じてて。


なるほど、、。

五十嵐さん
今話していて思ったけど、やっぱり俺絵描いてない!
絵を描いてるんじゃなくて、ひたすら自分のことが知りたいんだ、って。

自分のことも知りたいし、相手のことも知りたいし、なんかこの世の中のことが知りたい、みたいな感じになってるんだと思う。
それで、知るためにまず自分のこの感情を表現してみようって感じなのかな。
まあ結果的に絵は描いてるんだけど。


あの、、五十嵐さん的には作品を観た人に自由に受け取ってほしいっていうお気持ちかもしれないですが、 もしよかったら「この時はこういうことがあって」っていうのを聞いてみたいです、、!

五十嵐さん
それは聞いてもらったら僕も言いたいんですよね。
ぜひ聞いてほしいんですが、ひとつの作品に対してのストーリーが結構長かったりするので、教えてって言ってくださる方でないと重くなるかなっていうのもあって。


なるほど!

五十嵐さん
だから、これ気になるっていうのがあればぜひ教えてください。


え!選んでいいんですか!ちょっと一回じっくり観させてください、、!

五十嵐さん
ぜひ!選んでほしいです。

やっぱり対話しないとですね。
自分の中で、こういうふうに今ことりさんと感覚とか共有し合って、対話をして初めて自分のこの(展示の)空間が出来上がってる感じがするんです。
だから自分が対話まで求めてるし、 鑑賞者の方との今みたいなコミュニケーションができて初めて、自分の中のアートになるみたいな感覚があります。

レセプションパーティーでは対話型鑑賞が行われました

作品を紹介していただきました!

感覚と表現をイコールに


気になる作品がいくつもあるんですが、、まずこの作品についてお聞きしてみたいです、、!

五十嵐さん
これは、実は納得感が他のやつに比べてちょっと足りないんですよ。
だからもう1回描き直すかちょっと迷ってる。


え!そうなんですね。

五十嵐さん
他の作品の中にまだ並べちゃいけないかなって思ってる作品なんですが、テーマは幼少期の自分なんです。

子どもの時の感覚って覚えてたりするじゃないですか。
あの子と遊んでる時にこんな感じでワクワクしてたとか、年齢とか状況は明確に覚えてなくてもその時に感じた感覚は覚えてて。
感覚を掴めばそれを抽象画で表現できるので、幼少期の自分が感じた感覚を思い出してここで(滞在制作中に)描きました。

こんな感じなんです、僕の幼少期。
でもまだ納得感が少なくて。


ちなみにどこが納得いかないんでしょうか、、?

五十嵐さん
この絵はちょっと、パーー!ってしすぎなんです。
僕の幼少期の好奇心溢れててキラキラしてる感覚ってもうちょっと色合いを落ち着いた感じに表現したいんだけども、その表現がしきれてないんです。


なるほどー、、!

五十嵐さん
うん、、ちょっと修正しようって感じ。
表現するうえでどう納得するかっていうと、テーマ、これで言うと幼少期の自分の感覚とその色合いが本当にイコールなのか。
自分の中で納得感があるか。
みたいなことをやっていて、これはまだ納得感がないんです。

”無常観”を強く感じる


もうひとつ気になったのが、中心に焦点が当たっている作品とそうでない作品とではどういう違いがあるのでしょうか??

五十嵐さん
それはまだ自分の中でも言語化できていないんですが、同じようなテーマでもどこにピントを合わせてるかっていうのがたぶん違いで、 
例えば、この3つの作品はすべて「無常観」がテーマなんです。

五十嵐さん
同じ「無常観」で、大体同じようなイメージが(自分の中に)あるんだけども、技法を、つくり方を変えています。
でもどれも自分の中ですごく納得感がある表現になっていて、つまり、行き方が違うんです。
無常観っていうテーマに表現でたどり着くのに3つルートが存在したって感じです。

僕の中で無常っていう感覚はすごく強く感じていて、だからこそいろんな表現が生まれてるんだと思います。

ひとそれぞれ強く感じてる感覚ってあると思うんです。
孤独感を感じるとか、ことあるごとに寂しさを感じるとか、感謝をすごく感じてやまないとか。
一人ひとり感覚の違いがある中で、僕は楽しいこととか、うれしいこと、すごい感動したことがあった時に「ああ儚いなあ、いつまでもこれがつづくわけじゃないよなあ」みたいな感覚に陥ることがすごく多くて。

決してマイナスな意味ではなく、いつもその儚さみたいなものがポジティブに働く感じがあります。

儚く時が過ぎていくからこそ、この一瞬一瞬をどうにか最高に味わいたい。
そういうマインドにつながっていると思っていて、何となくこの「無常観」からくる一瞬の衝動的なエネルギーで作品を創造している気がします。  


なるほど、、

五十嵐さん
しかも何年後かには全然変わってると思っていて、その概念について理解が進めば感覚だって変わるわけだから表現は全然変わると思います。

結局有為転変なんですよ。
全部変わる。
表現って変わるし、感覚だって変わるし、理解だって変わるけども、僕がこれを表現した時の感覚はこうだったという話ですね。


何年後かに「この感覚じゃなくなったな」って思った場合、塗り替えることもあり得るんでしょうか?

五十嵐さん
いや、それはしないです。
僕はその時その時で納得感を追求していて、もうこれで完全に完成してるので、塗りつぶしたらその時の自分を否定することになるんですね。
この表現は僕の感性なわけで、重複しますが、五十嵐旬っていうのは何を指してるかっていうのも、僕の中では感性が自分を指していると感じているから。

だから、その当時はこれで表現しきれてよかったねっていう感じ。 
日々変化してるからといって塗り潰しはしないし、その時の自分を大切にします。

「爆発系」の作品

五十嵐さん
(「中心に焦点をあてた作品」として)あとは、このふたつは”爆発系”です。

五十嵐さん
これ(①)はなにかと言うと、すごく自分が迷ってて、これからどういうふうに芸術活動を続けていこうかとか、どういう方向に進んでいこうかって悩んでいた時期に、
あ、こっちの方向に行けばいいんだってすごくスッキリした時の感覚。

だからある種の爆発みたいな感じで、こっちかーー!って気づけた時の感覚って、わくわくとか、希望の光だー!とかありますよね。
それを表現しました。


えーーーおもしろいです、、!ちなみにこちら(②)は?

五十嵐さん
これはまたストーリーが全然違くて。
人って、、
僕がまだ20代っていうのもありますが、正直、死ぬっていうのは結構先なことだと思うじゃないですか。
80歳、90歳くらいかなとか。
だけども、日々ニュースを見てても交通事故とか震災とかまさか死ぬと思わなかったけど亡くなってしまった人もいて。
そういうことを感じると、明日死ぬかもしれなくない?ってちょっと不安。


はい。

五十嵐さん
でもそれと同時に、今生きれてるのって奇跡だなってちょっと感動したりするんです。
そういうのをすごく感じて。

明日死ぬかもしれない。
でも、今生きれてる。
今この瞬間、例えばパートナーと一緒に飯食えてすごい幸せじゃんっていう感覚です。


そうなんですね、、!
お話を聞く前と聞いた後とで見え方が変わっておもしろいです。
五十嵐さんの個人的な感覚が表現されているわけですが、違う人間が見てもわかるなって共感できるものがあります。

五十嵐さん
そうですね。
僕はこういうふうに僕の表現をしてますけど、一人ひとり表現したいものは全然違いますよね。
絵でも歌でも文章や小説でも。
だからこそいろんな作品があるわけで。
その違いに興味を示して、好奇心を持って突き詰めていくと、こういう表現にたどり着いたりしてそれがまたおもしろいんですよね。

だから、いかに僕らは物事や人のことを理解したつもりになってるかっていう話で。
本当は全然理解できてなくて、その人が見てる世界なんていうのをわかったつもりになってるわけです。

それで相手のこと理解したって思っちゃうのは、すごく危険なことでもあるし、もったいないことだなって。

だから、一見ただの抽象画で、「あ、なんかこれいいかも」くらいのところで終わってももちろんいいのですが、 それ以上に踏み込んでいくと、そういうストーリーとか僕の感覚が眠っているのがおもしろいと思っていて。

僕が見てる世界なんです。
そして一人ひとり見てる世界が全然違うこともわかると思います。


おもしろいですね、、!

五十嵐さん
子どもの頃はみんな自分で表現をしてるけどやっぱり大人になるにつれて表現しづらい社会に僕らは染まってきちゃうから、恥ずかしいとかこんなのやってもくだらないってなっちゃうんだけど、表現しないからその人を掴める材料がなくて、理解できないとか何考えてるんだろうこの人ってなってしまうと思っていて。

こうやって素直に表現すれば理解しやすかったりもするんですよね。
表現し合える世の中って、他者理解もすごく深まるんじゃないかって思います。

今、西会津を捉える


最後に、この作品について教えてください、、!

五十嵐さん
これは一番この個展を象徴している作品です。
逆にこれを観た時の感覚とか何か思うことがあれば聞かせてほしいです。


そうですね、、まずなぜ2つに分かれているのかが気になります。
あとは、(インタビュー前に)作品を離れて観るのと顔を近づけて観るのとで全然見え方が変わるっておっしゃっていたとおり、近くで観てみたらうわーー、、!!ってなりました。

五十嵐さん
そうですね、細かい要素が混ざり合ってできてるので。


作品は五十嵐さんの感性だというお話でしたが、あんまり親しい人でもここまでの近距離で人の内面を見たことがないので、こんなに近づいて見てしまっていいのか、、!っていう気持ちになります。

五十嵐さん
いいですね。
逆に言うと、近づいて観てほしいなって思ってます。
話が重複しますが、この絵は自分の感性を投影してるわけで、そこにある作品は僕の感性そのものって言っても過言ではないわけですね。

でも普通にコミュニケーションしてると、自分の感性まで誰かが顔をめっちゃ近づけて捉えてくれるなんてことはシチュエーション上ありえない。
こうやってコミュニケーションしてても大体相手との距離って離れているし、近くに行っても相手の感性に近づくってことはないですよね。

でも対話してる中で、あこの人めっちゃ俺の感性理解してるとかすごい捉えてくれてるとか感じる時ってあると思うんですけど、それと同じ感覚で、作品を近くで観てくれる方がいたら、自分の感性に興味を示してくれるっていう感覚になってすごく嬉しいんです。


へえ、、!

五十嵐さん
それで、まずこの作品のテーマは西会津町なんです。

五十嵐さん
なんで2枚なのかというと、1つは、大きい作品をつくりたかったからです。
でも単純に大きいサイズのものをつくるのではなくあえて2枚にしてて。

西会津町をどう捉えているかって人によって色々あると思いますが、僕は、幼少期は西会津町をこういうふうに見ていたけど、今はこういうふうに見ているっていう感覚の違いがあるんですよね。

ここで表現してるのは、今僕が西津町をどう見ているか。
こういう感じに僕は今西会津町を捉えてます。

具体的には、昔はすごい田舎だなって思ってたけど、今はめちゃくちゃ革新的なことをいっぱいやってて、面白い人が集まってて、「すごい、何か起こりそう」みたいなワクワク感をすごく感じているんです。
そういう感覚を表現しました。

それで、なんで2枚かっていうと、過去の自分の視点と、今の自分の視点っていう二面性があるからこそ、僕は今西会津をこういうふうに捉えられていて、過去の自分と今の自分がなかったらこの表現はできない。
そうなるとなんか1枚じゃない、2枚必要だなって考えました。


なるほど。片方が過去っていうことではないんですか?

五十嵐さん
はい。これ、2つ合わさるように描いてるんですよ。
過去の自分があって今だし、過去の自分が過去の西会津町を見ていた感覚があるからこそ、 今こういうふうに捉えられてる。
全部繋がってるし、噛み合ってるからそれが分離されてるわけじゃない。

だからこの作品はあくまでも僕は今の西会津町をこういうふうに捉えているっていう表現で、何か起こりそうだし、何か新しいことが始まりそうだし、なんかワクワク感があるなっていう。


なるほど。

五十嵐さん
でもそれだけだったら、もうちょっと明るいイメージ(表現)になるんですよね。
過去の西会津で育った経験があるから、それが混ざってるから、複雑な色になっています。

いい面だけじゃないし、西会津をちょっと否定的に見てた自分もいたりとかするんですよね。
「こんな田舎」って、 人もいないし、田舎臭いしとか言って出て行った自分ももちろんいるから、そういうのも合わさってると思う。
だからこそ(作品の)印象がただ明るいイメージではない。

西会津町をテーマにすると心の中にこんな感じのものが浮かび上がってくるんです。
今回の個展ではやっぱり一番、西会津っていうテーマで描きたかったので、(滞在制作中に)できて本当によかったです。


五十嵐旬さんプロフィール

五十嵐 旬 Shun Igarashi
西会津町出身。東北学院大学経済学部を卒業後、上場企業営業職を経験。
その後仙台の就労移住支援事業を展開する福祉系ベンチャー企業に人事としてジョイン。
組織文化として浸透する「ダイバーシティ&インテグレーション」の考え方から「一人ひとりが自分らしく生きられる社会の創造」のヒントを見出し、
自らが芸術家として社会におけるアートの可能性を模索中。
https://www.instagram.com/shu_n0528/

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