【インタビュー】第3回・執行長就任から1年。安永雄玄執行長が目指す「西本願寺のこれから」
<このインタビューは、2023年に行われたものです>
学生時代から宗教の世界に興味を持ち、銀行員時代に本格的に仏教を学び始めた安永雄玄。銀行員、コンサルタントとビジネスマンとして活躍していましたが、一念発起して僧侶の道へ。ビジネス視点から築地本願寺の改革に携わり、改革を進めました。
そして昨年8月に本山・西本願寺の寺務方トップ、執行長(しゅぎょうちょう)に就任。執行長就任から約1年4ヵ月が過ぎた今、西本願寺をどんな場所にしたいと願っているのでしょうか。
▼安永執行長のこれまでの歩みについては、ぜひこちらをご一読ください。
ーー西本願寺への改革が始まりつつあります。現在、思い描いているビジョンをお聞かせください。
門徒さんとの縁は大切にしながらも、今後はこれまでお寺と関わりのなかった人とどうご縁を繋いでいくかが課題になるとおもいます。「開かれたお寺」を目指すということは、築地本願寺も西本願寺も同じことです。その一つとして、築地本願寺では「築地本願寺倶楽部」という取組みをスタートしました。実はお寺は「いかに生きるべきか、いかに死すべきか」を相談できる最適な場なんです。
一時期、「終活」「エンディングノート」と自分の死後について話題にはなりましたが、本を買っただけ、話を聴いただけという人ばかりでした。やはり、自分の死に向き合うというのは勇気がいることなんですよね。だから結局は、「誰かがやってくれるだろう」と何もしない人が多い。しかし少子高齢化の今、死んだ後に身寄りがない方もおそらく増えていくでしょう。
お葬式やお墓だけでなく、遺言はどう書けばいいのかという実務的なことを相談したい人もいれば、病気にかかってしまって、残された時間とお金をどうすべきかヒントが欲しいという人もいると思うんです。まずはお寺に相談していただき、お墓やお葬式に関してはお寺、遺言書は弁護士、相続や寄付に関しては銀行…とお寺が信頼できる機関をご紹介する。つまり、死や残りの生の悩みや疑問に応えられる役割をお寺が担えればと考えています。
もちろん死についてだけでなく、「築地本願寺倶楽部」では学びを通して、「生きがい」をつくるアカデミーも設立しています。西本願寺でも同じような仕組みをつくっていきたいんです。
ーー「死を怖いもの」と目をそらすのではなく、自分の人生の中にあるものとして受け入れ設計することも必要だということですよね。それを一緒にやってくれるのが、お寺だと。
そういった存在になることが、「開かれたお寺」になることの一歩かなと思います。それと西本願寺は本山であるからこそ、全国のお寺に還元していくという役割も担っています。こういった取り組みは、本山から全国へ広げていきたいと考えています。
もちろんそのためには、全国の浄土真宗本願寺派のお寺、そして僧侶のみなさんにも協力して頂く必要があります。ぜひ、西本願寺でやってることに目を向けて参加していただきたいですね。
ーーお寺として、このままの在り方ではいけない、過渡期に来ているとわかっていても、これまでとは違うことを実行するのはなかなか難しいことです。どのように意識を変えると良いと思われますか。
特に浄土真宗本願寺派は教義(教え)上の縛りが非常に少ないので、色んなことにチャレンジすることができる宗派だと思うんですよ。しかし僧侶の世界は、家が代々僧侶であったり、親戚や婚姻関係など決まった関係性の中でコミュニティが成り立っていることが多い。その中だけで生きていると、前例にないことに挑戦する勇気が持てなかったり、新しい考えを受け入れることが難しくなってくるかもしれません。
今はインターネットを使えば、世界中に発信ができる時代ですよね。なかなか人が足を運ばないような山の中にあっても、SNSを駆使して情報発信をすることで有名になったお寺もありますし、文化財を守るためにクラウドファンディングを募るお寺もあります。英語、中国語、韓国語…と多言語で説法を行い、配信することだってできる。知恵と工夫で何でもできる時代になっていますよね。だから、やる気さえあれば何でもできると僕は思いますよ。まずは、もっと多様な世界に目を向けることが大切だと思います。
ーーこのnoteは、どんな人にも読んでいただけるツールだと思います。noteはどんな存在にしたいと思われますか。
noteは読み物が中心のツールなので、知的関心が旺盛な方のほうが興味を持ちやすいかもしれません。お寺について、仏教について面白いと感じていただけるような記事を発信していくことで、知的好奇心が高い方が集まる一種のコミュニティとして確立できますよね。noteだけでも、1万人ぐらいのコミュニティができたら、きっと面白いですよね。
ーー最後に執行長が西本願寺にしかない魅力を感じられる場所を、教えていただけますか。
私は、滴翠園(てきすいえん /境内の東南隅にある庭園)の池の前に立って、飛雲閣(ひうんかく)を眺めるのが好きなんです。白い障子が美しく並んで、池に映る様子が空に浮かぶ雲に見えることから、飛雲閣と名づけられたといわれています。
実は飛雲閣は、聚楽第(関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅)から移設されたとも言われているんです。元々は、豊臣秀吉が人を招いて接待をする間の一つだったとか。二階には三十六歌仙が描かれた「歌仙の間」があって、歌会を開いていたそうですよ。栄華を極めた時代は、あの場所でどんなお茶会や歌会が開かれていたんだろうと想像するだけでも楽しいですね。飛雲閣は通常非公開ですが、不定期で特別拝観が催されます。その際には、ぜひご来山いただきたいですね。
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