ぼくはそれでも先輩はかっこいいと思った。
「おいしい料理」と「イマイチの料理」どっちがうれしいですか?
おいしい方がよいに決まっている。
では、「手抜きのおいしい料理」と「手間をかけたイマイチの料理」どっちがうれしいですか?
少し別れるでしょうか?
仕事の場面に話を移します。
先日、仕事でプロジェクトの提案をしました。
担当は40代の先輩と30代のぼくの二人。もちろん先輩が主で、ぼくはサブです。
このご時世、働き方改革と言われる中で、遅くまで議論し、いつも私たち二人は最後。時間をかけて作ったプロジェクトです。それでも、仕事量としては、7割作った先輩と3割のぼくといった程度でしょうか。先輩は家に帰った後も大量の資料を集めていました。どれだけ時間がかかったのか想像できません。
いよいよ提案の日。先輩が話し始めると、職員はシーンとなってしまいました。お世辞にもうまく伝わっているとは、思えません。失礼ですが「イマイチ」でした。
続いて私が話す番になりました。思いの外うまくいきました。「上手に」話すことができ、よく伝わったようでした。
プロジェクトの提案も終わり、一段落。
この後、何が起きたか。
「今日はありがとうございました。」
と、多くの人に言われました。
「もう少しくわしく教えてもらえませんか?」
と後輩が聞いてきました。
ぼくにです。
結果がたまたま上手くいっただけ。
かけた時間ははるかに違う。
話した時間もぼくの方が少ない。
「これは、先輩が何時間もかけて作ったものです。」
だから何?
って言われたらそれでおしまい。
成果主義
本当にそれでいいのだろうか。
いつかは逆の身も経験するだろう。
努力なんて無意味なのか。
プロジェクトにかけた思いは無意味なのか。
この話は私の身の回りの特殊な事例なんだろうか。