今、僕は冷静さを欠こうとしています(小説「破局」を読んで)
小説「破局」を読みました。遠野遥著。河出書房新社刊。
あらすじ
痴話喧嘩で"事故"が起こってしまって破滅「やっちまったなぁ!」
…というAI要約的一言あらすじだとあんまりなので、もう少し…
筋肉はゴリラ!頭脳は慶應!燃える瞳はラガーメンの炎!小柄でも全身に雄エネルギーが満たされている漢、ようすけ!○○クス大好き!
…は慶應大学四年生です。就職を控えていますが、公務員一本で民間企業は受けていません。高校から始めたラグビーと、自身の嗜好による弛み無い筋トレのおかげで、極めて屈強な肉体を維持し続けています。
ただ、流石に慶大ラグビー部ではやれなかったようで、ラグビーとの関わりは、母校である高校でのコーチに留まっているようでした。
筋肉はゴリラ!頭脳は慶應!燃える瞳はラガーメンの炎!小柄でも全身に雄エネルギーが満たされている漢、ようすけ!がモテないわけはなく、同い年で同じく慶應に通う幼馴染・麻衣子と交際していました。
けれども、将来の政界進出を志す麻衣子は、就職活動が終わっても卒業後を意識した活動を続けており、ようすけとの間に距離ができ始めていました。
そんなある日、ようすけは学内のお笑いライブで、新入生の女子大生・灯(あかり)と出会います。偶々隣り合わせて、ライブの人熱れで気分が悪くなった灯を介抱したことがきっかけで、ようすけと灯の縁が始まります。
そんなに都合よく具合の悪い人間に出くわすなんてお前はスーパードクターKか。 筋肉はゴリラ!頭脳は慶應!燃える瞳はラガーメンの炎!小柄でも全身に雄エネルギーが満たされている漢、ようすけ!○○クス大好き!は、忙しい麻衣子が相手では欲求を満たすことができず、灯に…
それが、トライアングラーの始まりであり…終わりの始まりだったのです…。
きーみはだれとキスを する じゃねえ!全員○ね!
私の世界
主人公・陽介の一人称で物語が描かれていくというところが、この作品の大きなポイントの一つと感じました…。
一人称描写であるため、作中の描写は、あくまで、主人公の主観での見方、捉え方となります。
恐らく、三人称で描写すれば、読み手は相当に異なった印象を受けるのではないか、と感じました。
(それでも、違和感は垣間見えるかもしれないが。笑いながら怒る竹中直人の芸のように)
一人称故に、主人公があえて触れない(無視しようとする)感情や思いがあるし、描かれていない場面もある。
冷静に、激情したり動揺したり本能に突き動かされる様が---非冷静な様子が、冷静であるかのように語られていきます。こう書くと矛盾しているかのように思えますが、自分にはそのように表現することしかできませんでした。
主人公視点の描写がまるで叙述トリックに近いような働きをしているかのように感じてしまうのですが、しかし、主人公にとってはそれが世界の形、見え方、自分の在りたい姿なのだとも感じました。
何故主人公がそういう人間になったのか。主人公の過去についてはほぼ触れられていないため、想像することしかできませんが…。
自分というフィルタを通してしか世界と接することはできない。器とでもならない限り。だが器となれるのは、己を空にし、狂気のさらに向こうへ立ち入った者だけだ。
そんなことを思いました。フルフロンタル。
Did you see the sunrise?
主人公が破滅を回避するにはどうすれば良かったのか、ということをどうしても考えてしまいます。
破滅への端緒…それはやはり異性への思い、渇望、本能でしょう。
そもそも異性と関わりを持たなければこんなことにはならなかった!
しかし異性と関わりを持たなければ、主人公の本能と衝動は違う形で爆発していたかもしれません。
ということは…破滅しかない? じゃあしょうがないか(終わり)
おまけ・印象に残る名場面
ようすけが「ラクビーでは俺は自分がゾンビと思い込むことが有効論」を熱く語っていたら監督に途中で強制終了させられたシーン
ようすけが、母校でのコーチングの後寄ったマックで、後輩たちからの自分への悪口を聞いてしまい(アイツ慶應ラグビー部ではやれなかったくせにココでイキっててマジうぜえ。俺たちはただ楽しくバスケをやりたいだけなんだよ。赤木、お前、息苦しいよ)、その動揺をなかったことにしつつメニューを眺めながら「この中からどれかを選べというのか。どれかを選ぶということは、どれかを選ばないということだ」と突如衛宮切嗣化した場面
読み応えのある小説でした。