
1-4 古代の史料は乏しい
実は古代の1次史料は乏しい。
骨や金物・石(や粘土)は土に埋もれても同時代史料として残る。しかし,竹や木は埋もれてしまうと風化して残らない。そのため当時の史料が乏しい。竹は発見されている史料よりも古くから使われていたと考えられている。
その証拠は「

」の字形が甲骨文字や金文の中に使われているからだ。これは現在では「冊」という字形になっている。(七夕飾りの「短冊」〉という用語は生きている。本を数える時にも使われている)長い文章を作成するために竹でつなぎ合わせた巻物の形状から生まれた文字だ。つまり,甲骨文字や金文の時代から竹は利用されていた。
このとき甲骨文字や金文と同じ字形だっただろうか? 公式の場で使われる字形は丁寧に書き,私用の字形は簡略化したものになっていてもおかしくない。もともとは私用の字形が作成する文書の増大とともに一般化していった…と空想している。
文書が増大して,竹が足りなければ木を切って同じ大きさにして紐でつないだ。いずれにしても,重くてかさばるものだった。
そこで,竹や木に代わる軽い素材が必要とされる。目を付けたのが布である。絹に書いたものを「帛書」と言うが,高級品であり一般的でない。麻や着られなくなった布をほぐして,水に混ぜ,薄く広げて乾燥させれば,〈竹や木の代わりになるのではないか?〉とさまざまな工夫がされた。紙が発明されるきっかけとなる。
しかし,紙は細かい繊維が絡み合っているので,刀錐では書きこめない。墨を染み込ませる道具…筆が発達をする。
紙は後にイスラムを通じて欧州に伝わる。欧州では紙の代わりに動物の皮を使っていた。皮は水や墨が染み込みません。そのため,鋭い先端で引っかいて墨を染み込ませるような筆記具が発達した。そして,その道具で書きやすい字形の文字が発達をした。
(画像を探したら,人の肩甲骨らしいものがあったので利用した)
甲骨文字や金文の実物を見ると,骨や青銅器は平らではない。その表面に文字がある。立体で見ることが前提となっている。紙に写し取ってもそれは元の文字とは違う。平面にするとイメージが変わる。つまり,紙の上で曲線になっていても,立体上ではまっすぐになっているかもしれないのだ。
とくに青銅器の内側にある金文は解説の学芸員さんも,「少し離れて斜め上からのぞき込むように見てください。文字の幅がすべて同じに見えますよ」と説明をしてくれる。お椀の内側にある文字だ。つまり,下の方が幅広に作られているわけだ。
見学時に甲骨文字について,質問をした。
「この文字を何で彫られたのですか?」…ある程度は知っていたが,確証が欲しかった。
学芸員「その当時はまだ鉄がありません。あるのは青銅だけです。現在のカッターナイフのような青銅器で彫ったと考えられるのですが,実物は残っていません」…「残っていない」と言う発言が重要。別の本では〈ネズミなどの犬歯ではないか?〉とも書かれていた。
学芸員さんは実際にシカの肩甲骨を用意して,触らせてくれた。
学芸員「これだけ固い物に私も彫ろうとしたけど,たいへんだった。ただ,現在の人ができないからと言って,昔の人ができないとは言えない。昔の人だって出来る人はできるのです」…これはその通りだと思う。
彫って,文字を書くのが当たり前の時代に竹に書くのならば,直線化が進む。だた,一方では筆も当時あったことも確かだ。つまり,甲骨文字に「筆」があるから使われていたことは確か。しかし,これも実物が残っていない。現在,発掘されている最古の筆は甲骨文字よりも新しい。学芸員さんも「これだけの青銅器を作る技術があるのだから,筆にしてもある程度の水準のものができてもおかしくない」と言っていた。
竹簡や筆についても調べておこう。
前半は2024/01月07月の大会で発表。後半は書道博物館(東京・鴬谷)へ見学に行ったときの記録から(2024/09/27記)