見出し画像

2-6-7 「凸」「凹」の書き順にこだわる

● 歴史を追ってみる

 書き順については「漢字の〈書き順〉は,いろいろな人たちが漢字を長い間使い続ける中で,「書きやすい」「覚えやすい」ように考え出されたものなのです」と言う。しかし,「書きやすい」「覚えやすい」を納得がいくように説明している文を見たことがない。書き順は知れば知るほど無法地帯だと思ってしまう。
 noteに書いたことで,コメントが付いた。現在の書き順でなく,昔の書き順も見たら興味深かったので紹介する。

● 最初に示された書き順

 「でこぼこ」は「凸凹」と表記する。「オウトツ」と言えば,「凹凸」。まぎらわしく混乱する。〈出ているのが「でこ」〉〈出ていることは突出とっしゅつと言う。「凸」は「トツ」〉と覚えている。
 「凸」「凹」というかん字そのものは紀元前200年頃からあるらしい。当時,作成された識字の教科書(『倉頡篇そうけつへん』と言われる)で取り上げられていたらしい。「らしい」というのは,残っていないからだ。その頃のものは散逸してしまい後世に伝わっていない。1900年代に入って,竹簡・木簡の発掘により研究が進む。
 最初の漢字辞典である『説文解字』でも取り上げられている。象形文字であることは容易に推測ができる。

 最初に書き順を示したのは1615年の梅鼎祚ばいていそ著『字彙じい』となる。梅鼎祚ばいていそは当時の行書や古い篆書の文献をもとに書き順についてまとめた。

【問題】
 『字彙』で示された「凸」「凹」の書き順はどうだったと思いますか?
ア,「凸」も「凹」も現在と同じ
イ,「凸」も「凹」も現在と違う
ウ,どちらか片方は現在と同じ

 現在の書き順は次の通りです。


● 最初の書き順

 画像は国会図書館所蔵本よりコピーしたものです。

 正解は〈「凸」の2つ示されているうちの一つは現在と同じ書き順が示されていた〉となる。

 「凸」の1つめの書き順は明朝体の活字で考えるとこの書き方が自然に思える。
 松本仁志『書き順のはなし』(中央公論社,2012年)によれば,「『字彙』には,特に「中から外」という原則に合う筆順が数的にも多いように思われます」と述べている。(同書,96ぺ)
 「中から外」という原則で見ると分かる。
 
 また,「凹」の書き順は「門」の連想から考えると分かりやすい。
 どちらにしても,「書きやすい」「覚えやすい」という基準は人により違うのだろう。

 『字彙』は日本にも輸入され,後々の影響を与える本となる。

● 『康煕字典』 

 1716年,清の康熙帝の勅撰で『康煕字典こうきじてん』が作られる。『字彙』も参考にした上で作られるが,こちらは言わば,国定なので後の規準となる。
 書き順は載っていません。しかし,「凸」「凹」の所属するグループ(部首)がわかります。この字は2画の部首「凵」の所属です。現在では見かけない字も多数ある中で,〈凵の3画〉として,「凸凹」が出てきます。

 「凵」は〈最後に「㇗ ㇑」と書く。それまでは3画で書く〉と考えると現在の日本の書き順です。『字彙』で示された書き順は2つが採用されませんでした。

● 現代中国の書き順

 『現代漢語通用字筆順規範』(国家語言文字工作委員会標準化工作委員会1997年)を見ると,現代中国での書き順が確認できます。

【問題】
 現代中国における「凸」「凹」の書き順はどうなっていると思いますか?

ア,「凸」も「凹」も日本と同じ
イ,「凸」も「凹」も日本と違う
ウ,どちらか片方は日本と同じ

 日本の書き順は次の通りです。


 

● 日本と違う書き順

 

 2つとも日本とは違っています。そして,「ぼこ・オウ」については『字彙』に示されたものと同じです。
 部首はどうなったのでしょう? 「凵」のグループだと考えるから,書き順の最後に「㇗ ㇑」と考えたのです。書き順が違うのは部首の考え方が変わったのでしょうか?

【問題】
 「凸」「凹」の部首は『康煕字典』では「凵」のブループでした。現代の中国でも同じ部首に入っていると思いますか。

ア,現代でも「凵」の部首である。
イ,現代では「凵」ではない。
・新しい部首を作った?
・「 」のグループに入った?
ウ,どちらか一つは「凵」のグループである。
・「凸」が「凵」のグループ?
・「凹」が「凵」のグループ?

● 部首は変わらず

 

(画像は中華民国の辞典から引用。「画」が含まれないのは,繁体字の「畫」を利用しているため)

 「部首」の考え方が自由なのに感動してしまう。

● 安達常正の本より

 安達常正『漢字ノ研究』(1909年初版)では書き順指導についても取り上げている。
 書き順は明治期から問題になっていた。安達は〈書家の書き順はわざと複雑に書いて教育的に良いと思えない〉〈昔の字形から考えると,同じ字形でも違う書き順となり教育的に良いと思えない〉と嘆いている。(原文の意訳です)
 安達の嘆いている内容は現代にも通じている。書家は芸術家であって教育者ではない。また,初学者にとっては〈同じ字形は同じ書き順であること〉がわかりやすい。
 安達は教育的な観点から書き順のルールを22にまとめた。松本仁志『筆順のはなし』(中央公論社,2012年)の中では次のように述べている。

安達自身は,「運筆の順序は,斯くなさねばならぬと言ふべきものではない。斯くすれば都合が善いと言ふべきものであるのである」とも言っていて,厳格に守るものとして提示したわけではなさそうです。
 それにしても,漢字の字形分析から22もの原則を立てたことは,時代的にも突出していて,驚くばかりです。これは,書道における過去の結構法に拘った字形主義の立場や漢字研究における字源主義の立場から自由な位置に自分を置くことによって可能になったのではないでしょうか。また,「第四章 運筆則の適用」は,これまでの筆順書でよく取り上げられていた56字の筆順について,この22の原則を当てはめて,一つの筆順に絞って示しています。残念ながら,この22の原則がどの程度世に受け入れられたのかは調べきれておりません。

(松本仁志『筆順のはなし』(中央公論社,2012年),137-138ペ)

【問題】
 安達常正は「凸」「凹」の書き順はどう示したでしょう?ア,現代の日本の書き順と同じ。
イ,現代の中国の書き順と同じ。
ウ,どちらか一方だけが現代の日本と同じ。
エ,どちらか一方だけが現代の中国と同じ。
オ,別の書き順。

● 現代中国と同じ

 安達の示したものは現代中国と同じだった。

 「凵」を使う字は少ない。そのために,「↳」の画素を使う発想が出てこない。明朝体等の字形でもこの部分がつながっているように見えない。むしろ,「口」「日」のように最後に「→」を書いて終わりにする考えが出てくる。
 以前に作成した資料“「凸」の書き順”で取り上げなかったのは,〈左から右,上から下〉にこだわり,〈中から外〉も排除したからだ。しかし,“〈中から外〉は〈左から右,上から下〉に反していない”と見るなら,この書き順はある。
 また,「凹」の書き順については〈左から右,上から下〉の原則にこだわってもありうるものだった。


いいなと思ったら応援しよう!