コーヒーにこだわったら、ゆたかさの概念がアップデートしたかも
外出自粛中、何かいい気分転換はないものか?と夢中になれそうな飲食物を探していました。お菓子は食べ過ぎると太るし、昼からアルコールを飲むことには気が引けるので、コーヒーにこだわることにしました。
自分でハンドドリップしたコーヒーを飲みながら、「贅沢な時間だなー」と思いました。そして、ゆたかさについて考えてみました。
コーヒーを楽しむ教科書
せっかくならちゃんと学ぼうと、「コーヒーを楽しむ教科書」という本を買ったのは先月の話。
もともとコーヒーメーカーで豆から挽いて飲んでいたのですが、豆の量をちゃんと計らず、コーヒー用のスプーンでザッといれていました。この本を読んでからはコーヒー豆の量、数回に分けて入れるお湯の量と蒸らす時間まで考えてハンドドリップでいれています。
家でコーヒーを飲む時の工程はこの通り。
①コーヒー豆の量を計る
②手動のミルでコーヒー豆を挽く
③フィルターにセットして、お湯の量と時間をはかりながら4回に分けて注ぎ入れる
「ガリガリ」とミルのハンドルを回して豆を挽く行為も、なかなか楽しいものです。あえて手間のかかる作業を経ることで、美味しさが増したような気がしています。
お金で買える「ゆたかさ」
今までの「ゆたかさ」は、大抵のものはお金で買えていたと思います。物質的なものはもちろん、それ以外のものも。
例えば移動時間。
早く目的地に着くために、歩きではなくタクシーを使ったり、時間はかかるけど運賃の安いバスではなく、新幹線に乗ったり。
例えば手間。
掃除をするには掃除機やロボット掃除機を買います。ホウキを使ってもできることなのに。
しかしここ数ヶ月、お金があっても時間があっても買えないものがいくつもありました。
マスク、消毒液、トイレットペーパー、ホットケーキミックスなどなど
何が大事か分からないからとりあえず何でも手に入れておくと、本当に大事なものが分からなくなってきます。どんな好物でもお腹がいっぱいの時には食べられないように。
それならば、余剰なものは断ったり、ほかの人に与えたりする。これも、ゆたかさの選択肢の一つかもしれません。
ただそれが分かるには、自分の中の価値基準を持つことが重要なことだと思います。
ゆたかさって何だろう?
「お金があればゆたかである」と考える社会が、変わってきているようです。じゃあ、ゆたかさって何だろう?
それはきっと、欲しい時に欲しいもの(時間)がある状態だと思います。
食べたい時に食べたいものを食べる。
行きたい時に行きたい場所に、好きな方法で行ける。
それは他人から見れば無駄なものだったり、不便なものだったりするかもしれません。でも、しっかりとした自分の価値基準があれば、贅沢な時間やかけがえのない体験になるのかもしれません。
私にとっての「無駄なものや不便なもの」を、コーヒー以外にも探していきたいと思います。