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2-6-6 「万」や「方」の書き順・・・「勹」の扱い
●書き順の原則の欺瞞
書き順については「漢字の〈書き順〉は,いろいろな人たちが漢字を長い間使い続ける中で,「書きやすい」「覚えやすい」ように考え出されたものなのです」と言う。しかし,「書きやすい」「覚えやすい」を納得がいくように説明している文を見たことがない。そのため,1回ぐらいはきちんと説明して見ようと記事を書いた。
「覚えやすい」と言うのは,〈馬鹿の一つ覚え〉が使えることである。そのため,「左から右,上から下」の原則にこだわることで「凸」「凹」の書き順も説明できる。
でも,〈なぜ「右」「左」の「ナ」部分の書き順は違うのか?〉についてはお手上げだ。私だって,字源から説明する理由は知っている。しかし,それは「書きやすい」「覚えやすい」とは関係がない。結局は達筆の人が自分の技量を見せるためにある。知れば知るほど書き順は無法地帯だと思ってしまう。
学校漢字では〈書き順のルールはない。膨大なかん字練習で覚えましょう〉となる。
「書きやすい」「覚えやすい」がまったく関係ないことを「万」や「方」の「勹」に見る。
● 「一」や「亠」まではよい。
「一」や「亠」まではよい。
問題はその次からの「勹」だ。学校漢字では「㇆」を先に書き,「ノ」を書く。どうしてこれが「書きやすい」「覚えやすい」のだろう?
「書きやすい」と言うのなら,まず縦の中央線から「ノ」を書き,それに接続する形で次の書き始めを決め,「ノ」の向きや長さを見ながら調整をして「㇆」を書いた方が「書きやすい」のではないか? その方が美しくかけるのでないか? 「㇆」を先に書いたのでは,書き始めの位置を次に書くであろう場所に見当をつけることになる。また,「ノ」の向きや長さを調整したくても,自分の指先が邪魔して「㇆」の向きや長さが見づらい。
それにこれは「左から右,上から下」の書き順の原則からも外れている。どうしてこれが「覚えやすい」と言えるのか?
「そんなことを言ったって・・・。教科書や教材のドリルやテストがそうなっているのだもの。文科省の手引きにも従わなくっちゃ」と言うのが学校現場の先生達だろう。だから,書き順のルールは教えない。膨大なかん字練習で覚えさせている。子どもが自分で書き順のルールを見つけたり考えたりしたら,先生に注意され,テストで間違えてしまう。
「勹」は「句」「旬」「包」のときはきちんと「ノ」から始まっている。「成」だって,書き始めは「ノ」となる。
● 書家の満足のための書き順指導
画素に着目すると,裏の意図を感じてしまう。
「万」「方」は書き順の原則「左から右,上から下」で進めると,最後は「ノㄱ」と跳ねずに止めるのが自然な動きとなる。最後は自由であっても,次に向かう画はないのだから,止めれば良い。実際に「片」では最終画を止めている。跳ねる必要がない。
わざわざ跳ねるということは,次の画に向かって進めるつもりだからだ。「跳ね」は行書からの名残で書き順を考える手がかりになる。
「万」「方」と書くことは,わざと「書きやすい」「覚えやすい」書き順から変えた。書かれた「跳ね」を見て,〈ああ,この画で終えてないのだな。「㇆」を書いてから「ノ」と書いたのか…。書くのがむずかしかっただろうに…,この人はそれをやってのけるだけの技量があるのだな…〉と思わせている。
普通の人は「ノ㇆」と書いた方が書きやすく,美しい文字になる。学校漢字における書き順は「書きやすく」「覚えやすい」と言っても欺瞞に満ちている。
学校で書写教育を行い,行書をやらせるつもりなのだろうか?
行書ならば次の字への移動を考え,最後を止める「ノㄱ」より,勢いのつく「ノ㇆」と書き順を変えるだろう。
算数・数学教育は,計算指導だけではない。欧米の教科書を見ると計算問題が非常に少ないのを見る。〈必要な計算は電卓にまかせればよい〉と思えば,教科書のつくりも変わる。
国語教育においても,書写指導を重要視しすぎていると思う。膨大な時間をムダにしているように思ってしまう。
(今回の写真は「包」で検索をして見つけました)