ロゼカバにベリー
私には友達がいない。多分、物心ついた時から。
「友達」という言葉をインターネットでググる※1と、
ともだち【友達】互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだり喋ったりする親しい人。
とある。
子供の頃の遊んだ記憶を思い返してみる。
高度経済成長時代、私は家族とともに東京の西の方の団地に住んでいた。当時の団地の子供たちの遊びというと、ゴム跳びだ。私はこれがことごとく下手だった。背はクラスの後ろから三番目、手足は他の子よりも長かったはずだが、自分の足ぐらいの高さしか飛べない。一学年下のリカちゃんは頭上よりも高いゴムを華麗に飛ぶ。可愛くて運動神経もいいリカちゃんに、容姿では褒めるところがなく運動神経も鈍い私は、子供心に一方的にみじめになっていた。
運動神経とは「生まれ持った才能よりも繰り返し練習したおかげ」と永遠の五歳児チコちゃん※2が言っていたが、運動神経が鈍いことを理由に努力することを諦めていた。
そもそも家の近所の子との関係は「幼なじみ」とは呼んでも「友達」とは言わないような気がする。
一方で、小学校での生活は充実していた。
ある日、グループに分かれて毎月クラスで行っていたお楽しみ会で披露する出し物を考えることになった。
当時は空前のドリフブーム。結成のきっかけは覚えていないが(多分先生が決めたのかも)、コエちゃん、キミちゃん、私の女子三人組で小学生の好きなパンツやうんこなどの歌を作っては、歌い踊り、クラスの大爆笑をさらっていた。
さらに、同じくお楽しみ会で活躍していた男子二人と共に「六年生を送る会」のお笑い担当にも抜擢され、校内芸人として称賛を浴びていた(ような気がする)。
この時の私たちはクラスや学校のみんなを笑わせる、その目的のために真剣だった。それを何というか、再びググってみた。
なかま【仲間】1.一緒に物事をする間柄。また、その人。(後略)
つまり、私には「友達」はいなくても「仲間」はいたのだ。
その後も先生に「二人一組でグループを作って」と言われると誰にも組んでもらえないくらい、相変わらず友達がいない人生が続くが、勉強仲間、漫画仲間、受験仲間、仕事仲間、茶道仲間と様々な仲間に恵まれてきた。
五十の年に会社勤めを卒業してから、行動の全てを好きなワインに注いでいる私に今いるのは「飲み仲間」だ。
先日のオンラインの飲み会でのこと。ロゼのカバをシャンパングラスに注いで、冷凍のベリーをグラスに入れて乾杯した。画面越しに私のグラスにフルーツが入っているのを見逃さない人がいた。
「にらさん、それ何?」
「ワインを冷やす時間がなかったので、氷代わりに冷凍ベリーを入れてみたの」
「いいアイデアね!」
五十五歳になった今も友達はいない。それでいいと思っている。私のちょっとした工夫に気づき、喜んでくれる飲み仲間がいれば。
※1ググったそれは→出典・デジタル大辞泉(小学館)
※2永遠の五歳児チコちゃんがメインキャラクターを務める某公共放送の人気番組『チコちゃんに叱られる』(2021年7月16日放送)より
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