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「頑張った感」を信用しない
文章を書くと反応が返ってくる。その結果、読んでくださる人は自分の頑張った感とは関係なく読んでいるのだな、と感じる。
自分が、頑張ったと思った文章は前のめりになってしまってうまく受け止められていないのではないか。そう思うようになってきた。
むしろ、七割、六割ぐらいの気持ちで書いた文章の方が受けが良さそうだ。と。八割は少し高いだろう。
頑張った感、は言うなれば肉体感覚であって、文章世界の感覚ではない。確かに、ズゴーっと書くと頑張った気はするが文章には何ら影響がない。読む人は、そんなことを知らずに読む。言うなれば、自分で頑張ったと思っているのは文章の世界においては、錯覚である。
確かに、私は頑張った。しかし、それは文章に現れない。読む人にもよくわからない。
それですまされるのも辛いから、学校の先生にもなった気分で頑張った自分を評価してあげたくなる。
「とにかくできたものを見せてよ」と私は私に言う。「頑張ったのなら、それが見えるように形にしてみてよ。」
頑張った感を形にすることはそれを「感」で終わらせないことである。
自分が頑張っている姿を見せることである。そしたら、見ている人にも頑張っている姿がわかる。それがわかって初めて、誰かの評価が始まる。
文章が全て、と言ってもいいのだが、毎日投稿したり、書いている途中の画面をスクリーンショットで投稿してみたり、南極で投稿しましたなどと言ってみたり、人それぞれの頑張りをアピールする文章もありかもしれない。
とにかく、なんでも書いてみる。悩みでも、些細なことでも、足の小指が角にぶつかったことでもいいから。「投」稿と言うじゃないか。身の回りにあるものを手当たり次第、投げつけてみる。形になればそれで良い。等身大の文章を書くことが、「感」から卒業する第一歩ではなかろうか。
そうしているうちにいつしか、頑張った力をまっすぐかけられるようになりたい。
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