「わたしではないわたし」制作日記2021/01/14
あ、今日で最終日か。どこかで確認したのだが、1月の14日がこのプロジェクトを始めてから30日ぐらい経つという。
いかがだっただろうか。最後までお付き合いしていただいた方には感謝である。いきなり感謝しても社交辞令じみていてなんの感謝かよくわからない。しかし、ぐだぐだな感じで続いていってしまったプロジェクトを見守ってくれていただけでありがたく思う。
しかし、しかしを重ねてしまうのだがぐだぐだな感じで続いたおかげで、ぐだぐださを「書く」技術というのが身についた。グダグダなものを、うまく見せるのではなく、グダグダなものをグダグダなまま書く。当たり前のようだが、その発想に至るのに時間がかかった。グダグダなプロジェクトなのだから、グダグダに終わってもいい。「終わりよければすべてよし」ならば、「終わりグダグダなら全てグダグダ」な気もするが。
早速、明日、何を書くのか、私でも楽しみになってきた。色々候補は文章中に出てきた気もするが、早くこのグダグダさから抜け出して、初心を味わいたい。初心忘れるべからず……何度でもやり直せと言うことだろうか(意訳)。やり切った後に一番最初に感じることは、これでまた0からやり直せるという茫洋とした感じである。海とか、空とかぽかんとして捉え所がない物が好きなのもそんな気分が好きだからかもしれない。
書いている間に、いろいろなことがあった。世間ではなく、私の中にもいろいろなことがあった。それらを全てここで書き表すわけにはいかないけれども、「私の中のいろいろ」はほとんど全て「書くこと」の中にある。書くことで、私の中にいろいろなことが起こる。今では、書かなければ私は自分が何を感じているのか、何に怒っているのか、体調はどんな感じなのかを理解できないのではないかとすら思う。
書く時間があって良かった。書く場所があってよかった。そればっかり言ってしまうので、次はあんまりおんなじことを書かないようにフィクションでも書こうかな。
机も変わったし、椅子も変わった。書いている間に聞いている音楽も変わった。書き方も変わった。書くとはどういうことか、考えも変わった。本も読めるようになった。自分の言葉を無理に守ろうとしたりしなくなったからだろう。むしろ本の中に自分の言葉があるように感じる。
これから私はどこに行くのだろうか。この一連のタイトルを締め括るのにふさわしい一文がぽろりとこぼれる。
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