書き重ねること:2020/11/09
たくさんのことを、幅広く考えることよりも、同じことを何度も繰り返すことの方が面白く感じるようになった。私が、ちょうど好きなテーマに好きなやり方で取り組むことができているからかもしれない。
今日、街を散歩した。散歩といっても自転車で回ることだ。なんだか、街がきれいに見えた。最近、カメラを持って街の景色を撮っているせいもあるかもしれない。今日は昨日気がつかなかった、街の美しさに気がついて今まで撮ったことのない場所で写真をとった。
街は変わっていないのに、昨日よりも美しく見えた。同じような道を行くのに、昨日よりも美しく見えた。
それは、初めてこの道を走った時には気がつくけなかったものだろう。道になれ、なんども通ったからやっと気がつけた。
繰り返すからこそ新しい。今私が、したいと思っている「書き重ねる」やり方と重なる部分がある。
同じタイトルとテーマで、毎日書く。それから何か面白いものが生まれるかどうか、はじめは分からなかった。しかし、思ったよりもたくさんの発見や、新しい書く感触がそこにあると思っている。
飽きるかどうか心配だったが、飽きないようにいろいろなやり方を試している。同じテーマだからこそ、その日の文章の違いが鮮明にわかる。
今日は夜に書いていて、疲れている。だから、昼間の書いていなかったときの体験がふとにじみ出てきたのかもしれない。昨日は、考えが乗っていて文字の量も思考の質もいつもより高かったと思う。昨日のような書き方は毎日することはできないだろう。
初めて、この記事を読んだ人はなんのことかわからないので、説明をする。というか、そもそも私が何を書いているのかを説明することがこの「書き重ねる」というコンセプトそのものでもある。
昨日、とか今日とか言っているのは、私が毎日投稿している記事のことだ。それは「書き重ねる」という同じタイトルの後に書かれた日付がついている。毎日同じテーマで書いているのだ。
どうしてそんなことをしているのかというと、文章の質を高めたいからだというのが一番わかりやすいだろう。
今まで私は、毎日違うテーマで書こうとしていたが、続けていくうちに違和感を覚え始めた。毎日書くことはできるのだが、次第に自分が心から書きたいと思うテーマではなく、「昨日と違うこと」や「書けそうな事」、「その場で何となく思いついた事」ばかりを書いてしまっていた。
とりあえず、自分の中では「毎日書く」と決めていて、それが達成されていたから満足はしていた。しかし、次第に「書く」ことだけが中に浮いてきて、何が描かれるか、記事として良いものかどうか考えなくなってしまった。
書くことの充実感と、何かを作る感覚を取り戻したいと思った。そこで、まずは愚直に一つ作品を作ろうと思った。思いつきのままに書くのではなく、思いを形にしようと努力して、伝える。広がった考えをもう一度集中させるためだ。
そして、作品を作る方法は、今まで採用していた、書きながら考えるやり方でいいと思った。テーマを決めたら、あとは自分の指が動くままに書く。それだけでいい。その方法でしか、むしろ書けない。それで毎日続けることができていたから、そのエネルギーを一つのテーマに注ぎ込めば、何かはできるのではないか?
そうして、まずは自分がこの書き方をしようと思ったきっかけや、理由を説明する文章を書こうと思った。このやり方で変わっていくのだ。それを自分自身が理解して、読んでくれる人にもうまく伝えられれば、また新しいものを作れるだろう。「書き重ねる」。毎日同じテーマで文章を書き始めるから、そういったタイトルをつけ、マガジンでまとめることにした。
今日はそうやって書かれた記事の一つである。昨日は、違ったように書いたし、一昨日も違う。明日も違った記事が書かれるだろう。
一ヶ月ぐらい続けるつもりである。ちょっと長い気もする。続ければ続けるほど面白い気もする。もうすでに違いは生まれ始めている。一方で、まだまだ作品としてこれで完成、という気持ちは出てきていない。そもそも、今日は疲れていて「完成」を思い浮かべようとしていない。まあ、毎日書いていればそんな日もあるだろう。
そういうふうに書けるのも珍しい。今までは、完結した一つの記事しか書いてないので、とりあえずは完成しなければいけなかった。だから、わからないとか手を抜いている、とか疲れているとか、は書こうとしなかった。自覚していても、作品自体が疲れていることでしか表現できなかった。
「書き重ねる」このやり方では、途中のこうした文章も次に書かれる文章の役に立つ。完成には必要なものだと思っている。私は書いたことを覚えているし、必要ないことは忘れるだろう。説明を繰り返しているうちに言葉が洗練されていくだろう。
最後に書かれたものが「完成」のつもりだが、そうではないのかもしれない。最後に書かれた瞬間に、今書いている過程が作品のうちに組み込まれる。今は、過程に過ぎないが、完成するために必要だったとあとで気がつくのだろう。「作品」とは、たった一つの点のことではなく、それに至るまでの道筋の全てなのかもしれない。