物忘れ日記 ときどき猫とか本とか映画とか:Vol. 27 ほんとうの坂道
気が付けば立春もすぎ、日も長くなってきた今日このごろ。今年になって初めての投稿なのに、「あけましておめでとうございます」も「今年もよろしくおねがいします」にも乗り遅れてしまった。こんなノホホンおばさんに今年もお付き合いいただけますと幸いです。よろしくおねがい申し上げます。
先月、高校時代の友人二人が上京してくれたので、会うことになった。二人のうちの一人は、娘さんが結婚して東京近郊で生活していることもあり、半年に一度くらいは会っている。もう一人とは五年ぶりくらいに会った。しかし、会えなかった時間は関係ない。会えば瞬く間に高校時代に戻っておしゃべりができることに感謝するオーバーカンレキおばさん三人なのである。
元々は、私の最寄り駅の近くで待ち合わせの予定だったが、友人二人は少し早めについたので、お土産も渡したいし、これから私の家を目指して歩いて来るという。駅から拙宅まで10分程度、途中には坂道もあるし、大丈夫?というと「街を歩いてみたいから、大丈夫」とのこと。私も駅に向かって歩き出し、出会ったところでお土産を受け取ることになった。
どこで会えるかなと思いつつ歩いているとスマホが鳴った。地図アプリを見ながら、私が電話で伝えた目印を探しつつ歩いてきているけど、さて、ここは直進?それとも??となったらしい。私のほうからは、こちらに向かって歩いてくる二人が見えたので、「そのまま直進して」と伝え、無事会うことができた。
「ひさしぶりー」と言ったあとで、こう言われた。
「途中、坂道があるって言ってたけど、あれは坂道じゃないよー」
「え?そぉ?」
そうなのだ。友人二人は、私の故郷・長崎県佐世保市、「坂の街」からやってきたのだ。「坂の街」の住人には、東京の坂道は坂道に見えないらしい。渋谷の道玄坂も「ちょっとした上り道」にすぎないと言われ、苦笑した。
私が「坂の街」で暮らしたのは、実質20数年ほど。東京で暮らし始めて、はや30年以上となった。東京で暮らすうちに、私の「坂道」の感じ方が変わってしまったんだろうか。それとも、東京の「ちょっとした上り道」もつらく感じてしまうのは、老人力による脚力の衰えだろうか。
「東京の坂道は坂じゃないって、佐世保の同級生に言われた」という話を、長崎、佐世保に旅行したことがある調布生まれ、調布育ちの同僚にしてみた。そうしたら、「長崎や佐世保の坂道は、私にとって坂道じゃありません。あれは、『山道』です」とあっさり言われ、そうか、故郷の急こう配の坂道は、平地育ちの方には、「山道」なのねと認識を新たにした次第。
そして、「山道」の話を佐世保の同級生に披露したら、「いろいろなとらえかたがあるね」と笑ってもらえた。
『智恵子抄』には「東京には空がない」と嘆く智恵子さんの「あどけない話」が収められているが、旧友の来訪で東京と故郷の「坂道」について考えてみることができた。
私の結論は、どちらもほんとうの坂道という、「あどけない話」なのである。
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