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2020年6月福島取材⑰/飲み込まれていく団地

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展示やら何やらで取材記をサボっているうちに、いつの間にか1年近く経ってしまった。昨年は3月に2回、6月、8月、10月と計5回、浪江と双葉と大熊と富岡に行っている。歩いた距離は昨年1年でおおよそ70kmほどか。早くまとめないとと思いつつ、でも僕はジャーナリストではないし、と思ったりもする。

双葉の山田地区で毎時15.28μSvに面食らってから、前田団地へ。このエリアはさほど線量は高くない毎時0.3〜1.0μSv程度か。いや、これは首都圏のことを考えたらとんでもない線量なのだが。どうにも感覚が麻痺してしまう。

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前田団地は、まさに植物に飲み込まれようとしていた。4階建ての4階まで蔦は伸び、窓の隙間から室内にまで入り込んでいる様子が見て取れた。パッと見、とても綺麗な緑に覆われて、不気味さと同時に、人智を超えた自然の力を感じずにはいられない。ここはある意味『楽園』なのだなと改めて思う。

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少し胸の高鳴りを感じながら撮影していると、団地の中から防護服姿の中年女性が出てきた。ここは特定復興再生拠点区域であり、特に防護服を着なければならない義務はないが、彼女はスクリーニング場で防護服を受け取り、それを着て自宅へ一時帰宅していた。

⑬で書いたが、事情を知らない輩の悪意を持ったつるし上げで、今日、同行させてもらったOさんは防護服姿を揶揄され、陰湿な嫌がらせ、バッシングを受けた。立ち入り規制が緩和されたとて、放射能に対する考えは人それぞれだ。また、震災後9年以上放置された家屋に入ることは、様々な動物の糞やカビなど、放射能がなくとも防護服が欲しくなる。帰還困難区域と特定復興再生拠点区域を行き来するのに、いちいちそれを脱ぎ着することも面倒だ。そんな事情も知らずに、双葉町民がつるし上げに遭うという理不尽さ。

「こんにちは。取材でここを訪れたのですが、こちらの住民の方ですか?」

そう問いかけたものの、団地から防護服姿で出てきた女性は、明らかに僕らのことを警戒していた。同じ防護服姿ではあるが、訝しげな表情でこちらを伺っている。

「何で誰だかわからない人にそんなこと話さなきゃいけないの」
「あ、すいません、僕は鈴木と言います。絵を描いていて…」

しかしその女性は僕らを無視して車に乗り込み、そのままそこを去ってしまった。

未だに全町避難を強いられている双葉町民は、国やメディアによって蹂躙され続けてきた。人によっては不信感の塊のようになってしまう人もいる。また、僕もそうなのだが、人と出会うことがほぼないこのエリアで、作業員ではない人とばったり会うというのはやはり驚くものだ。それくらい、ここでは非日常が日常になっている。

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自然の猛威と偉大さ、そしてそれを支配できると自惚れた愚かな人間の行いを憂いつつ、その後は双葉中学へ向かった。

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双葉中学の校庭は、トラックの駐車場となり、そして様々な資材の置き場と化していた。ところどころに“放射性廃棄物”を詰めたフレコンバッグも積んである。

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(避難時のままの教室)

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(体育館)

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(雨漏り対策?)

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校舎の中は、掃除がなされ比較的片付いている場所と、震災当時に避難所となった時のままの場所があった。歴代校長の肖像が並ぶ教室では、帰還困難区域内の墓地を見るような、切ない気持ちがした。

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原発事故は、一体どれだけの人たちの人生を一変させ、一体どれだけの人を苦しめたのだろう。かつてここに通っていた子供たちは、震災後に小中高校で行われた様々な「放射能安全教育」に触れて、何を感じたのだろう。「福島差別」なる造語を生み出し、却って別の差別を助長してきた愚かな大人たちをどう見ているのだろう。

<続く>

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