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2019年11月、浪江取材/ただ、更地
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<続き>
コンクリで固められた請戸川の土手は立入禁止になっている。人目がなければ気にせず行ってしまうのがいつもの僕だが、川沿いにはクレーンが作業中だ。では北側を回って行こうか…iPadでグーグルマップと睨めっこしながら進む。
津波で痛めつけられ、さらに原発事故で。この辺りは空間線量は低いが、除染したのか、自然に減衰したのか。津波で徹底的にやられてしまった場所を新たに除染したとも思えない。と言うことは、土壌はどれだけ汚染されてるのだろうか。
2011年3月12日のこの地区の写真を浪江から避難している知人に見せてもらったことがある。言葉がなかった。ちなみに、うちには震災後1ヶ月間の報道写真をまとめた朝日新聞社発行の書籍があるが、そこには福島の写真は殆どない。数年前のテレビ朝日のドキュメンタリー番組で明かされたが、大手メディアの記者は放射能を恐れて誰も取材に行かなかった。豊田直己さんや神保哲生さんなど、ほんの一握りのフリージャーナリストだけだったと記憶している。
これは、10月の台風19号で浸水した跡だと思う。
あのグリーンのシートの下はフレコンではなく土だと思う。かさ上げして何を作るのか。
くたびれたフレコンバッグ。これはただの土嚢だと思う。
…残念ながらこの日はマリンパークなみえ行きは諦めた。思った以上に作業している人が多い。あまり堂々と廃墟に侵入することは避けようと思った。他に生きたいところもあるし。次回にしよう。
この後、幾世橋へ向かう。
…周辺は多くのフレコンバッグと津波の傷跡で溢れており、心がザワザワする。
フレコン置き場。土曜日のこの日も、ゲートは開いていて、ダンプが中間貯蔵施設への移動を行っている。
津波で流され、放射能で汚染されてしまったこの土地は、どんな場所へと変わるのだろう。
こうして写真を撮ってる時にも、いきなりダンプが飛び出してくる。轢かれてしまわないよう気を使った。
この日、浪江町役場では11/24のももクロのイベントチケットが無料配布されており、朝から“モノノフ”が集っていた。それに合わせてイベントも行われていたが、そこに訪れた全ての人にこの光景を見せてやりたいと思う。
0.12μSv/hと書いてある。内陸では徹底的に除染されたフレコン置き場内のみが低線量だが、海近くのこの場所では周辺も概ねこのレベルだった。
中を覗く。おぞましい光景。
フレコンバッグの山の向こうに見える減容化施設からの煙。
美しい稜線を見るたび、ため息しか出ない。
この先行ってみたいけど、周りに何もなさすぎる。目立つ。
フレコン置き場と減容化施設。
放射性廃棄物を燃やした煙。何もないと思う人の方が少数だろう。
空間線量は内陸とは雲泥の差だ。放射線管理区域のレベルも下回っている。土壌汚染はどの程度かわからないが…土壌汚染と内部被曝を全く考慮しない日本政府の姿勢は全く以って「非科学的」だと思う。
請戸から幾世橋方面へ、慰霊碑を目指して歩く。
そっと手を合わせる。
幾世橋小学校を目指す。
この辺は広い更地がたくさんあった。震災前は何だっただろうか。このエリアは棚塩産業団地として整備されるという。工場でも建つのか。イノベーションコースト構想だか何だか知らないが、要はハイエナが利権探しに励んでいるだけだ。汚らしい奴ら。
ただ、更地が広がるのみ。
この周囲は何軒か帰還している。都内より高いとはいえ、空間線量は比較的下がっているからだろう。どこも高齢者ばかりで、役場に小さな診療所1つでどうするのかと思う。しかしそれでも故郷を選んだ。なんて表現していいかわからない、複雑な感情が頭をよぎる。
この工場は稼働していた。
里山の光景…しかし
廃墟も多い。
空間線量は、このレベル。首都圏よりは高いが、内陸とは比べ物にならないほど低い。
真新しい家が並ぶエリア。…しかし、どこも空き家だ。
この後、18年5月以来の幾世橋小学校へ。
<続く>
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