2019年11月、浪江取材/雛人形<終>
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<続き>
常磐線の踏切を渡り、イオン浪江へ向かう。朝から1日歩きっぱなしで、15kmは歩いただろうか。足が棒のようだ。
タイヤがペシャンコ。震災直後から放置された車。今も撤去される事なく、ここに置かれている。
メインストリートから少し外れ、住宅が並ぶところを歩く。解体され更地になった場所もあれば、廃墟となっている場所もある。
軒先にフレコンバッグ。
この日は、11/24に浪江町スポーツセンターの駐車場で行われた、ももクロライブの無料チケット配布に合わせて、まちなみまるしぇでイベントが行われていた。イベント会場で聞いたことのない歌手が誰かのヒット曲を熱唱する声が、このアパート廃墟の場所まで聞こえてくる。
綺麗な雛人形に戦慄する。この光景を見ている傍から、「そばにい〜たいよ〜」とアマチュア歌手の猫なで声のカラオケが聞こえてくる。ここは何なのか。ここは夢の世界か。何の理屈があってこんな拷問を受けるのか。イベント参加者たちは全員ここを片付けに来たらどうか。
ひたすら頭が混乱し、堪え難い、赦しがたい屈辱を感じた。こんな至近距離で、このカオスな空間は何なんだ。
…当時ここに住んでいた親子は今どこにいるのだろう。
ここはまるで、震災後に誰かが暮らしていたかのようだ。侵入者か。
日本社会から追いやられた人々が、日本社会から追いやられた土地へ追い剥ぎにやってくる。
やりきれない気持ちで、僕は思わず声をあげてしまった。
「バカバカしい」
居たたまれない思いでまるしぇの前を抜け、イオン浪江の中へ。イートイン脱税をする気も失せ、椅子に座ってただ水を飲みながら、この日1日を振り返った。
休憩後、浪江の避難者から情報をもらっていたイオン裏手の幼稚園へ向かった。本当にイオンの真後ろ。完全に目と鼻の先で、盲点だった。
すぐ近くに浪江幼稚園があるが、そこしか見てなかった。
厳重に施錠してあるし、人目もあるので中に入ることは躊躇われた。
ここも空間線量はさほどではない。だからといって、ここで子供を遊ばせたいだろうか?
一面的なものの見方で、誰かを簡単にデマ認定するなんざ1億年早いんだよ
「友愛」の文字がとても悲しい。
段々と日が落ちてきた。帰らなくては…重い足を引きずりながら、いたたまれない気持ちでここを離れた。
この標語を考えた中学生は、今は幾つで、どこで何をしているだろう。
いずれ解体されるであろう建物が並ぶ。11/24にももクロを見に集まったモノノフ達は、この光景を見て何を感じただろう。
駅から数百メートルも離れてない、代行バスで通り過ぎるこの場所さえも、ほとんどの人は見なかったことにしているかもしれない。ここを見て感じたことを素直に表現するだけで“デマ撲滅隊”にデマ認定され、攻撃されるのが今の日本。そうやって、避難者たちは黙らされてきた。
窓が外されている。重機が、解体の日を今か今かと待ち構えている。
ここもいずれ解体されるだろう。
浪江駅到着。朝7時半過ぎに桃内駅に着いてから、延々9時間、15km以上を歩き倒して取材終了。この11月の取材では、あまり大きな収穫はなかったが、12月の個展のためにいくつかいい風景に出会えたし、浪江高校を見れたのもよかった。
この後の11/16、岡山県津山市で開催していた個展「紅」のイベントで、元除染作業員と対談した。その翌日の17日には朗読会も開いたが、その時の話のネタとしても、この取材は役立った。その朗読会では、自主避難者と思われる人も来ていたが、とてもいいやり取りができて、嬉しく思っている。
さらば浪江町。また来るよ。今はなき代行バスに乗って帰路に就く。
富岡駅からスーパーひたちでいわき駅へ。
いわきの夜は更けゆく。いつかあのホルモン屋行きたいなあ
いわきへ着いてから、今回は高速バスで来ていたことを思い出した。友部SAで休憩。いわきへの高速バスはとにかく窮屈で、もう2度とバスは使わないと心に決めたw
・・・
為政者は選挙の前は福島は復興してないといい、五輪招致やイベントではアンダーコントロールだの復興しただのという。どっちなんだろう?
浜通りは福島じゃないのか? 一体どこなんだ?
いつもいつも、福島取材はやりきれない思いに苛まれながら帰ることになる。厳しい顔でしかめっ面で。昔からずっと、怒りは僕の創作の原点だった。その原点を、個人の感情の吐露に終わらせることなく、より普遍性を持った形で、これからも昇華させていきたいと思った。
<終わり>
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