【2024年10月、双葉大熊富岡取材その1】双葉駅にて
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2024年10月26、27日の2日間、5ヶ月半ぶりに福島に行ってきた。
26日、双葉駅まで向かう途中、車窓から景色を眺めて感じたのは、「この前より荒れ果てている」ということだった。その感覚は、2日間歩いてみてもやはり変わりなかった。町なかは次から次へと解体され更地が増えていく。更地になった直後は綺麗に整地され何も無くなってるわけだが、それがしばらくすると雑草が生え、しまいには激しく生い繁る雑草で地面さえも見えなくなってしまう。避難指示解除から時が経ち、特定帰還居住区域の除染も始まり、情報だけを見れば「復興」は進んでいることになるが、ビジュアル的には荒廃が進み、「放置されている」ようにしか見えなかった。
いわき駅
朝一番の特急ひたちに揺られ、いわき駅まで。そこで途中下車し、着替えなど昼間は必要のないものをコインロッカーにしまう。特急ひたちがいわき駅に9:18についてから、原ノ町行きの鈍行列車が発車する9:24までわずか6分。以前は4分しかなかったので少しマシになったが、それでも6分ではロッカーにしまっている余裕はない。その後は12時台まで鈍行列車はなく、この日もやむなく仙台行きの特急ひたち、いわき駅10:25発の切符を買った。
双葉駅
双葉駅前で遊ぶ子どもたち
ひたちに揺られ11時過ぎに双葉駅に着くと、ホームまで聞こえてきたのは小さい子どもの遊ぶ声だった。
「双葉に小さい子ども?」。
駅西の復興住宅に子連れで移住してきた人がいるのは知っていたけど、こうして目の前で未就学児を目にすると、結構ショッキングなものがあった。人数は7〜8人くらいか。近くに浪江との間を行き来するバスが停まっていたので、そのバスで遊びに来たのかと思ったが、しばらくするとそのバスは誰も乗せずにどこかへ去って行った。
双葉町議会議員?
子どもたちの近くには黒いスーツを着た若い男性が笑顔で子どもたちを見ている。その顔には何となく見覚えがあった。ほどなくして、保護者と思しき女性が車でやってきた。そして何人かの子どもたちを乗せ、六国へと走り去った。富岡も浪江も子ども園があるから、そのどちらかから来ているのかも知れない。その後、双葉町役場から荷物を抱えた母親らしき女性が歩いてきた。子どもたちと挨拶を交わし、車に乗せまた何処かへと走り去った。
車を見送った後、黒いスーツの男性はしばらく物思いに耽った後、町役場へと去っていった。あの顔…以前、役場から持ち帰った議会便りに載ってた気がする…
脱力
あの子たちはみんな、双葉とは別の町からやって来たのか、そう思って駅の南へ歩き出すと、反対側の駅西住宅から、さっきの子どもたちと同じ、遊ぶ声が聞こえてきた。ああ、やはりあの子たちは双葉に住んでいる子たちだったのか。双葉駅、駅西住宅、原子力災害伝承館、産業交流センター、浅野撚糸、この5箇所以外は全ての箇所で首都圏の3倍以上の放射線が存在するこの町に、どこにどんな放射性物質があるかわからないこの町に、あんな小さい子どもたちが住んでいるのか--野暮なことは言うまいと思いながらも、どうにもやりきれない気持ちに襲われて、双葉駅に着くなり僕は脱力してしまった。
<続く>
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