2019年11月、浪江取材/津波と放射能
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<続き>
延命寺を後にし、さらに海へ向かう。マリンパークなみえには行けるのか…
貸地。借りる人はいるのだろうか。向こうに見える家は当然のように人は住んでいない。
山は美しいが…請戸川沿いは台風の傷跡が生々しい。
遠くに見える中間貯蔵施設が恨めしい。
歩いていると建物の基礎が現れた。津波で流されてしまった跡だ。これは…
鮭供養塔…その脇には
鮭の孵化場だ。津波でやられたまま。
請戸小学校のように震災遺構になるという話も聞いていない。しかし取材時点で8年8ヶ月たったこの時も震災直後のままだ。このまま取り壊さずに残して欲しいと思うが、これも東京五輪で消されてしまうのだろうか。震災の風化を加速させる東京五輪のどこが、復興五輪なのか。「風化五輪」だ。
原発事故がなければ、ここはどうなっていただろうか。今頃、南三陸や気仙沼のように、かさ上げ工事が進んでいただろうか。それはそれで、悲しい気持ちもする。震災前の風景が、全て消えてしまうのだから。
どこかから流れてきた炊飯器。繰り返すが8年8ヶ月そのままだ。
泉田川観光食堂。津波の傷跡がそのままだ。グーグルマップで調べると、中の様子が見れる。
猪を捕まえる罠。僕はまだ遭遇したことはないが、罠にかかった動物を見たことがあるだろうか。脱出を試みてひたすら体当たりを繰り返し、身体中が傷だらけの血だらけ。それはウリ坊であっても同じだ。通常ならありがたく命をいただくが、汚染されているこの地域では、ただ殺されるだけだ。ただ殺戮するだけだ。それは原発事故がもたらした。
なんだかグッときてしまった。
18年10月にも来たが、やはり歩いてくると違った風景が見える。
…15年に初めて南三陸を訪れてあの防災庁舎を見た時は本当に胸が詰まった。今にも泣き出してしまいそうだった。あの時とは比較にならないが、似たような感情が湧き出してきた。
減容化施設からは煙がモクモクと出ている。
ガードレールが歪んだまま。これも閖上などで見た光景を彷彿とさせる。
原発事故によってもたらされた悲劇は人災の要素が濃い分、怒りに変わることも多いが、津波の被害はただひたすら悲しい。切ない想いが去来するばかりだ。
請戸橋から海を臨む。おぞましい減容化施設、今もそびえ立つマリンパークなみえ。河口付近は護岸工事中…マリンパークなみえに行くのは難しいか…
僕は廃墟探索に慣れているわけではないので、人目につかずに行くことはなかなか難しい…
請戸橋から福島第一原発の排気筒を臨む。解体工事が少しずつ進み、ゆくゆくは見えなくされていくのだろう。劣化が激しいからやむを得ないのだが。
あの煙には何が含まれているだろう。
この写真とともに「放射性物質がどれだけ含まれているか」とSNSで書いただけで絡んできた人間が多数いた。高濃度に汚染された放射性廃棄物を減容化するのに放射性物質を含む煙が出ないと考える方がよほど非科学的だろう。量の大小はあるにせよ、それがごく普通の反応だ。
津波の被害を受けたままの家。未だ取り壊されずに残っているということは、連絡がついてない可能性もある。こんな家が海辺にも何軒かある。
すさまじい数の「放射性廃棄物」。大切な財産が汚染され、「廃棄物」として処分されていく。土曜日のこの日も作業は行われていた。
土曜日もバリバリ稼働している減容化施設とそこから出入りしているたくさんのダンプ。マリンパークなみえに行くべきか否か、このあたりでしばらく逡巡していた。
<続く>
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