2018年10月福島、帰還困難区域〜請戸港
<続き>
「リプルンふくしま」で感じた違和感は、人が住むところで放射性物質に汚染されたものを実験的に埋め立てる、「人体実験」のような普通に考えたらありえないことを平気でやろうという、その違和感でしょうか。まるで映画かドラマの世界のような、夢の世界のような非現実感。現実が自分の想像を飛び越えるという違和感でしょうか。浜通りではそういった強烈な違和感を感じることが何度もあります。
その後、国道6号線を北上し、浪江へ向かいました。ここを通るのは何回目だろう…浜通りに来たのは今回で6回目ですが、6国で帰還困難区域を抜けるのは10回目くらいかな。3年前の5月に初めて6国の帰還困難区域を抜けた時、当時何も知らなかった僕は、友人とともに区域内で下車して写真を撮ってました。その当時はまだ6国沿いで15μSv/h程度の高線量地があったと記憶しています。その時以来、3年ぶりに区域内で下車してラーメン屋の廃墟を撮影。周囲も完全に草で覆われ、見事な荒廃ぶりでした。
5月に代行バスで帰還困難区域を抜けた時は、最大で3.45μSv/hまで車内の空間線量が上がったと記憶していますが、この日は2.0μSv/hを超えることはありませんでした。この件もあって、エアーカウンターSの数値に対する信頼は、結構揺らぎました。
(国道6号で最も原発に近づけるポイント。約2km地点。5月に来た時はここにフレコンバッグはなかったと記憶している)
帰還困難区域を抜け、浪江に着くと、まずは腹ごしらえということで「とんかつ しが」さんへ。ここのマスターは僕の知人の友人だということを後日知りました。フィリピン人の奥さんととても忙しそうに働いていました。
とんかつしがさんで腹ごしらえの後は、なみえ虹色こども園と浪江創成中学を見てから、請戸へ向かいました。
(普通の住居の目の前にフレコンバッグが積まれていると、やはりドキッとする)
浪江創成中学は普通の学校ばりにでかい校舎がありますが、生徒数は数人しかいません。よく除染されてるようで、敷地内のモニタリングポストは低い数値でしたが、周りが…5月の時点ではこども園の前で0.5μSv/hあったのをよく憶えています
(請戸川。周囲は全て津波で流された)
請戸川を越え請戸漁港の見晴台に行くと、平日以外は登ってはいけないとのこと。
あらあら…と思ったものの、鎖一本入り口にかけられてるだけだったので、そのまま登ってしまいましたww
見晴台からは福島第一原発の排気筒が4つ、よ〜く見えました。
<続く>