2020年3月福島取材④/隠される原発事故と、再会と。
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<続き>
この家も解体か。真新しい家が解体されているのを見ると、さぞかし無念だろうなと思う。いや、長く住んだ家も同じか。原発事故は思い出も金も奪う。
昨年11月に歩いた場所に再び向かう。フレコンバッグの向こうに浪江町スポーツセンターが見える。昨年11/24はあそこの駐車場でももクロの無料ライブが開催された。束の間の狂騒を主催したのは、飯舘の僕の知人の知人だった。“モノノフ”たちが、ライブの前と後、周辺を散策したという話は当時SNSを探した限りではなかった。イベントをキッカケに、「光と陰」の陰の部分にも目を向けてくれればと思うが、なかなかそううまくはいかない。
この仮置き場でもやはり中間貯蔵施設への移動が始まっており、シートが外されて生々しい“放射性廃棄物”を目の当たりにした。かつては財産だったものだ。
これを再生利用? 何のために除染したのか…ただ利権が欲しかっただけか
この場所は何度も訪れているが、毎度毎度いたたまれない。白い壁とその向こうの黒い塊。五輪の聖火リレーのために、必死に隠そうとダンプが走り回っていた。五輪が延期となり、まだあと1年、狂ったような解体&神隠し祭りは続く。
正西寺の前の通りのホットスポットも健在。ここは前回訪れた時は毎時3.7μSvまで上がったが、この日は3マイクロを少し超えた程度だった。
毎度毎度、高線量の場所があることをSNSなどで伝えると、測り方がどうの機械の精度がどうの、24時間にそこにいるわけじゃないとかなんだとか意味のない言葉が匿名の人間だけでなく大学教授や天文学者からまで飛んでくる。厳密な被曝量がどうとかこうとか、それも大事だが、そもそも、ここはそんなに線量の高い場所だったのか。そもそも、こんな線量の高い場所で人が暮らしている国があるのか。そもそも、こんなに放射性物質で汚染されたのは何故なのか。
ニセ科学だかなんだか知らないが、そこに住む人々の暮らし、かつてそこに住んでいた人々の暮らし、そこに想いが至らない「科学」など、全て「偽物」で「邪魔」だ。福島県で現在も行われている「県民健康調査」についても同じ。実際に病んでしまった人(子供)への想像力が働かない調査や研究、検討会議などは人体実験だ。ましてや、そこに政治的思惑が絡むとなれば、そんな“学者”は、マッドサイエンティストと言えるだろう。
浪江駅を目指す。
荒れ果てたこの工場も、いずれは解体されるのだろう…
「福島は復興した」「浪江は復興した」そんな言葉を何度か聞いた。なんて空虚な言葉か。避難指示解除したら「復興」ではないことは、現地に行けばすぐにわかる。「スタートラインに立った」という人もいるが、確かにスタートかもしれないが、そこからは遅々として進まないものだ。徒歩で地球一周するようなものだろうか。現実を見据えれば、どこかのワイドショーコメンテーターに成り下がった芸をしない芸人や、胡散臭い匿名マスクの一発屋漫画家のように、楽観的なことは言えないだろう。
ここにあった中華屋も解体されてしまった。
中が片付けられているので、ここの解体も時間の問題だろう。
いつもは余裕を持って駅に着くが、この日は富岡行き代行バス発車5分前に着いた。
代行バス内から撮影した、浪江と双葉の町境付近。フレコンバッグの仮置き場の先に、中間貯蔵施設が見える。
左下、ピンクの札が見えるだろうか。現地NPO、ハッピーロードネットが6国脇に桜の植樹をしている。原発が見えなくなるようにするためだ。
http://happyroad.net/%E6%A1%9C%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88/
ハッピーロードネットとは、櫻井よしこ講演会を開いたり、開沼博をイベントに呼んだり、“猫組長”とネトウヨ福島県議会議員渡辺康平を浪江に案内し「イノベーションコースト構想」に一枚噛ませようとしている、日本政府と仲良しの団体だ。
昨年12月の個展に来てくれた新聞記者の方からの情報でこのことを知った。いつの世も、桜は右翼団体に利用される。
いつもの原発がよく見える場所。排気筒も解体され、なかなか見えづらくはなってしまうが…
「タイベック免除エリア」とは何だろう? ここは帰還困難区域だが、もしや人目につきやすいから今や放送禁止となったタイベックはここでは着るなということだろうか。このエリアの空間線量はそれなりに高いはずだが。
この日の帰りの代行バスも比較的線量は高め。しかし強風で電車が止まった下り(最大5.92μSv/h)ほどではない。
富岡駅にて常磐線乗車。いわきへ向かう。
いわき到着。
代行バスも常磐線も、いつも以上に人が少なかった。3/14の常磐線全通に合わせるべく、鉄ヲタ達が旅を自粛してるのだな、そう思った。
いわきの定宿に戻り、少し休憩したのち、この日は行きつけの居酒屋さんへ。
この居酒屋は、かつては浪江にお店を構えていた。震災で避難を強いられ、その後いわきでお店を再開した。今でも、浪江で常連だった人たちが集まってくる。僕は17年11月に初めて帰還困難区域に入域する前日、浪江から避難した人に連れて行ってもらった。それ以来、何度か一人でも行くようになり、マスターから「浪江に通ってるなら、今も残ってる俺の店を描いてくれよ」と言われ、実際に現地を訪れそれを元に作品を制作、昨年12月の個展で公開した。
この日のためにオンデマンドで印刷してもらい、プレゼントするためにお店を訪問した。ちょうど浪江の人たちばかりがお店に揃っている時で、みんなに歓迎され、喜んでもらえてとても嬉しかった。そのまま「原画を売ってくれ」という話になり、契約成立。ありがとうございます!
(鶏肉の辛子炒め)
(春野菜の天ぷら)
(自然郷)
(鰹のにんにく醤油和え。常磐ものといえば鰹)
途中から、17年11月にこの店を教えてくれたOさんが近くのバーから急遽合流し、楽しい夕べとなった上にご馳走までしていただいて、頭が上がりませんw
帰り際には、ママさんが「明日の朝、浪江に行く前に食べて」と特大のおにぎりを2つも握ってくれました。ありがとうございました!
明日も1日、頑張って歩けそうだ。
<続く>
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