2019年11月、浪江取材/消されたメッセージ
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<続き>
幾世橋小学校。
懐かしい風景だ。
校内は片付けが始まっているようだ。
このダンボール類は18年5月にはなかったもの。もっとだだっ広い空間だった。
校庭へ回ってみる。
大きな蜘蛛の巣。そして前回来た時と変わらない、放置された自転車。
校庭は比較的綺麗な状態で保たれている。
魚のオブジェもそのまま。
あのトロフィーもいずれは放射性廃棄物か。
これも放射性廃棄物。
腐食したバケツ。
少し陽も翳ってきたなかで、人のいない校舎は寂しさが漂う。
廃校になった学校の校舎というと、どうしても不気味さが漂うものだが、富岡にしろ浪江にしろ、不気味さよりも切なさばかりが際立つ(ここはまだ廃校ではないが)。
打ち捨てられた原チャリ。これもそのままだ。校舎の中は少しずつ片付けが進んでいるが、周辺はそのままだ。
これも廃棄物なのだろうか。そして次。
この教室は、18年5月は
この状態だった。この教室を見て涙した身としては、ここはそのままにしておいて欲しかった。黒板に書かれていた感動的なメッセージも、消された。
当事者の人たちは忘れたい出来事かもしれないし行政は絵に描いた復興を夢見ているのだろうが、原発事故の悲劇に蓋をするようで僕は気にくわない。…しかし僕がどうこう言えることではない。
切ない。
何だろう…僕はいつもこういう時、急に気持ちが萎える。
ガックリしつつ学校を去ることにした。
ガックリ? そんなことは僕が言っていいことではないのだろうけど
ニノキン。ここも18年5月は
花であふれていた。勿論、季節的なものもあるのだが、ただひたすら切なかった。
17年3月に避難指示が解除され、大手マスコミは復興ムードを煽るし県知事も「福島は復興した」と過去形で発信したりする。しかし僕は、拙速な避難指示解除は「ゼロからのスタート」というよりも「百歩下がってからのスタート」としか思えない。それによって新たに生まれる分断や補償の打ち切りなど、どうしてもマイナス要因が大きすぎるし、解除によって生まれる中途半端な期待が失望に変化していくことも容易に想像できるからだ。
打ちのめされた気持ちで去る。
家が解体された更地の向こうから、太陽の光が降り注ぐ。
とある団地。
かつてはここにも人が暮らしていて、地震があろうとも原発事故さえなければ片付けて耐震補強して、また暮らしが戻ってきたことだろう。原発事故から6年の歳月はあまりに長く、避難指示解除から2年8ヶ月を経たこの時もただ朽ちていくだけ。
何が原子力だよ。
JAふたば幾世橋農業研修センター。ここも18年5月以来。ここもいずれ解体されるのだろう。イノベーションコーストだかロボットテストフィールドだか、クズのハイエナどもが利権に群がる。
<続く>
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