2018年10月福島、大堀地区ゲート前〜酒井地区ゲート前
<続き>
次の目的地を目指す。と言っても、行けるかどうかはわからない。帰還困難区域の可能性が高いから。
たとえ帰還困難区域でも、ゲートまで行ってみたいという願望はあった。不謹慎かもしれないが、僕は絵を描くための取材、資料収集に来ている。
高瀬川。陽に照らされて美しい。水も澄んでいて素晴らしい。…放射性物質は目に見えないが…
あれ、橋の向こうに
ああ…
大堀地区は帰還困難区域だった。
このゲートのすぐ向こうの家の人はどう思っているのだろう。
やむなく、高瀬川脇のフレコン置き場方面へ向かう。
(白い壁の向こうに見える黒い塊)
(禍々しいゲート)
(隠したところで起きたことは消えない)
ここのフレコンもいずれ移動されるのだろうか。
このすぐ右側は元々は道だった。行こうと思っていたが、完全に雑草と藪に覆われており断念した。
「避難区域外の多くの地域では、おおむね平穏な日常が取り戻されつつあります」とどっかのライターが書いていたが、さてこれは「平穏な日常」なのだろうか? 今も1μSv/hを超えるほど汚染された地域で、大切な財産が「廃棄物」となり黒い袋に詰め込まれた山に囲まれた地域で、そこに戻った人たちは「平穏な日常」を過ごしているのだろうか? 今も帰れずに避難を続けている人々は、福島県民ではないのか?
いつもいつも、いたたまれない気持ちと怒りと。いろんな感情が沸き起こる。
通学路のすぐ脇にフレコン置き場があるわけだ(勿論大堀小学校は再開してはいないが)。
(坂を上り県道253号に抜ける)
(県道253号を歩く。人の気配はない。時折車が通り過ぎるだけだ)
(あれは何だろう)
(美しい山も悲しく見える)
(記念碑。見る人はいるのか)
記念碑脇のモニタリングポスト。0.179μSv/h。確かに、この周辺は低かった。
この近くでマイクロバスを見た。住民らしき人も2人見た。避難先からこの地区の人たちが片付けにきてるのだろう。
(面白い玄関)
軍曹殿の慰霊碑。慰霊碑の周りは爆弾か。
国に忠義を尽くし死したのち慰霊碑まで汚染され、軍曹殿は何を思うのか。
(神社が見えた)
(調べたが名前はわからない)
立派なお社。辺りは静寂に包まれていた。荒れ放題の周囲の状況も含め、特別な感情が生まれた。説明は出来ない。
ここも朽ちていくのだろう。
そのまま歩くと、ゲートが見えてきた…ゲート?
<続く>