2020年6月福島取材⑤/復活ならず
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<続き>
双葉高校には17年11月、初めて訪れた。あの時はまだ帰還困難区域で、入域には許可が必要だった。今はそこに丸腰で徒歩で向かっている。当時より空間線量は少し下がったが、さほど変わりはない。不思議な感覚で2年半ぶりに双葉高校へ向かう。
(荒れ果てたままの洋品店。)
洋品店やクリーニング店、どれもこれも家が傾いていたり倒壊寸前だったり。ドアは全開で、中には誰でも入ろうと思えば入ることが出来る。目の前で家が悲鳴をあげて助けを求めているかよう。そしてそんな姿を日本中に晒しておきながら、ただの「立入規制緩和」を「避難指示解除」と喧伝し、常磐線が全通しましたよと復興ムードを煽る。
政府の御用芸人カンニング竹山も、「これから町が解体され前へ進む」と、かつてそこに住んでいた人の感情など置き去りにして、絆だなんだと上っ面だけのあざとい言葉で「寄り添ったふり」をする。この町には今の日本が抱えている矛盾のほとんどが詰め込まれている。苦々しく辛く、怒りが身体中からこみ上げてくる。
こんな僕の感情を、東京新聞に掲載されたイラストから邪推して揶揄する人がいたが、現場に立てばこその感情であるので、何を言われようが気にならない。ネットで見ただけで知った気になって「科学」を語る奴らには、「お前が現場に立て」としか思わない。その場の空気は、そこに立った者にしかわからない。
(冨沢酒造店。アメリカ、シアトルでの再興を夢みていたが)
酒造店の前では、酒好きとして何とも切ない気持ちになった。調べてみると、アメリカでの再興を目指している冨沢酒造店という。しかし、2014年にニュースになった後はどうなったのか不明だ。ここにも、原発事故で翻弄された人がいる。
こんな話はいくつもあり、聞けば聞くほど悲しい気持ちになる。復興に向けて元気に前を向こうと人は言うが、それはただ単に「辛い話はもう聞きたくない」といった類の逃げではないか。その「辛い話」の渦中にある人を無視して前を向いたところで、何が復興だろう。
(ハッピーライフストアカメダヤ)
(この型のインプレッサセダンは、実は栃木県では結構見かける。僕の従兄弟が開発に携わった。)
双葉高校の前ではおにぎり屋を見つけた。震災前は双葉高校の学生が集ったのだろう…2階には洗濯物が干されたままだ。
2年半ぶりの双葉高校…校舎の窓には「復活双高」と書かれた紙が貼られている。しかし双葉高校は復活することなく、17年3月末で休校となった。
(17年11月以来。)
(テニス部)
2年半前に訪れた時と変わりはない。あの時と同じくサッカー部やバスケ部、テニス部の部室を覗く。
(校庭。前回来た時とは季節は違うが、印象はあまり変わらない。とにかく寂しい。)
(ネットの向こうは茶道部の茶室。前回来た時は茶室の前にフレコンバッグが積まれていた。)
(これは震災遺構として保存すべきだ。)
放置された車も、猪の糞まであの時のまま。「2011 春 42日 夏 124日」と書かれたスコアボードも何も変わっていなかった。
3回甲子園に出た強豪高校は、原発事故によりその運命を断たれてしまった。
体育館の窓ガラスが割れたところから中を覗くと、日本国旗が掲げてあった。この高校、この双葉町、この相双地域に対して、国は何をしただろうか。
もっと高校を見たかったが、駅前のステーションプラザふたばに積算線量計を返す時間、15:30が迫っていたため、17年11月に見たところを確認しただけでここを去ることにした。
「福島県立双葉高校」
…震災時も今も、果たして福島「県」は、県民のために何をしただろうか。この廃屋と廃車を眼の前にして、果たして内堀知事は何を思うか。これでも「福島は復興した」と海外で世界に向けて発信出来るのだろうか。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31183970R30C18A5CC0000/
COVID-19の蔓延により東京五輪は1年延期になった。つまり、このパンデミックがなければ、五輪開会式まで残り2ヶ月を切った20年6月は、まさに世間はお祭り騒ぎだったはずだ。聖火リレーも行われ、今話題になっているJヴィレッジの未除染問題もどこかに吹き飛んでいただろう。「アンダーコントロール」という嘘によって招致された東京五輪の裏で、福島第一原発事故は忘れ去られていたことだろう。
…やや暑さにやられながら駅へ向かって歩き始めると、住民のいない廃屋に犬小屋があるのに気がついた。思わず敷地内に入り、犬小屋周辺を見て回る。その時、ハッと我に返った。これまで200km以上双葉郡を歩いてきたが、僕はいつも、空き家で犬小屋を見つけるとその周辺を探していた。つい骨が落ちていないか探してしまう。そして見つからないとホッとする。遡ってみると、17年3月に宮城県名取市閖上の海沿いの廃墟で動物の骨のようなものを見つけてから、僕はいつも骨を探していた。見つけたからといって何をするわけでもなく、ただ、骨がなければ「助かったのか」と思って安心するだけだ。ただそれだけなのだが、それら全て無意識でやっていた自分に初めて気付き、少し驚いた。
駅へ向かうせんだん通りへ行く途中、モニタリングポストがあった。0.453μSv/h。低いと思ってしまった自分の感覚はかなり麻痺している。福島県外では0.23μSv/h以上で立入禁止、除染になるというのに。双葉郡ではありふれた数字だが、果たして日本のどれだけの人がこの現状を知っているのだろう。
<続く>
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