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2020年3月福島取材⑤/「復興」とは何か

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<続き>

3月6日、浪江取材2日目。

朝5時に起きて、6時過ぎのいわき発の電車に乗り出発する。前日の酒が少し残っている。

富岡からの代行バスの乗客は僕を入れてたった2人だった。3月ともなれば、18切符で全国を旅する鉄ヲタが少なからずいるものだが、やはり3/14の常磐線全通を待っているとしか思えない。

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(6国脇のこの廃墟は相変わらず手つかずのままだ)

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(熊川)

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(双葉町。僕の記憶が正しければ、立入規制が緩和された今は、ここにも立入が可能なはずだ)

この日は平日。当然、朝の6国は渋滞する。浪江到着が予定より遅れた分、浪江を出る電車も遅れて出発する。代行バスの添乗員さんが、何人電車に乗車するか確認するため、「浪江で電車に乗り換えますか?」と聞いてくる。浪江を歩く予定なので、乗りませんと答えると、添乗員さんは驚いた顔をする。いや、確かに浪江をひたすら歩きにくる人なんてそうそういないと思うが、そんなに驚かないでよ(笑

ちなみに、福島第一原発に電車で通勤する人は、かなり少数のはずだ。常磐線全通の建前の中に通勤も入っていたと思うが、それはほんのわずかだ(ゼロではない)。

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浪江駅から、まずは前日訪れた居酒屋の元の店舗を目指す。残念だが、「解体しようと思う」とマスターが話していたので。最後に一目見ておこうと思った。

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この公園はもはや駐車場と化してしまった。向こうに見える浪江小学校も閉校が決まった。

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浪江幼稚園。昨年の台風で(?)門が壊れたまま、放置されている。

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居酒屋さん、旧店舗到着。昨年11月訪れた際、嫌味ったらしく立っていた「Needs」なる会社の「管理物件」という看板が消えていた。まるで解体を急かすために立っていたかのようだ。

その後、先日解体されたという友人Hさんのお宅の跡地を目指す。すっかり更地になってしまったというが、昨年8月に撮影してきた者として、見届けなくちゃいけないと思った。

途中、やはり昨年8月に見たサンプラザに立ち寄るが…

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ついにサンプラザも解体、「放射性廃棄物」になってしまった。目の前のフレコンバッグがただただ恨めしい。

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「こわす 解体」とのステッカーが貼られ、解体家屋番号の立て札が立つ家が目立つ。東京五輪の年を迎え、国は期限を切って解体を迫ってきた。曰く、「◯月◯日まで解体に同意すれば解体費用は国が出す」。様々な線引きが行われ、その度に原発事故被災者は決断を迫られ、分断されていく。

…Hさん宅、跡地到着。「ああ」思わず声が出た。何もなくなってしまった。ただため息しか出ない。

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浪江駅周辺は、ただひたすら解体工事が進んでいる。壊して更地にして、いったいこの国は何をしたいのか。

後日、3/14に双葉から避難している方にこの疑問をぶつけたところ、曰く、今は南相馬の原町に原発作業員が住み栄えているけれど、それよりも原発近くに作業員の住む場所を作る気だと話していた。

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その後、請戸川を渡り藤橋不動尊を目指す。

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この橋の上で犬の散歩のお爺さんとすれ違う。「おはようございます」と声をかけると、お爺さんはおもむろに

「あそこに竹林が見えるべ? 復興工事だってあれが切られちまうんだよ」
「猪が居場所無くなって町に出てくっから、やめてくれって若えのに言ったんだけど、聞かねえんだ」

復興復興と人々はいうが、かつてあった町並みが次々と変わっていく様は、何十年も暮らしてきた人たちには耐え難いものかもしれない。

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空も山も美しいが、川沿いは昨年10月の台風でやられたままで、痛々しい。

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このエリアは思ったより線量が低かった(といっても毎時0.4μSv前後)。

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この先、道が工事でグーグルマップとは変わっており、やや混乱する。作業員がいる目の前を徒歩で歩いていくが、こういう時、驚くほど彼らはこちらを無視している。

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ナミエボウル。15年5月以来の対面だ。パッと見、解体が始まっているように見えたが、今改めて見てみるとそうではないのかもしれない。僕の知人でもここに思い出のある人は多い。僕でさえ残して欲しいと思うが…

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藤橋不動尊着。鳥居は壊れたままだ。

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パッと見で社殿が見当たらない。グーグルマップでは写真が出てくるが…解体されたのか墓地の奥にあったのか…。

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なんだか徒労に終わった気分で引き返すことにする。

毎年旧1月28日に行われる不動市では県内外から参拝客が訪れ、参道には露店が立ち並んだというが、今は見る影もない。全てをぶち壊したのは原発事故だが、自称“保守派”はなんというのだろう。

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この後、やや距離はあるが苅野小学校へ向かう。

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<続く>

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