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2018年10月福島、請戸漁港〜請戸小学校

<続き>

請戸漁港を見たのち、請戸小学校へ移動します。
途中で目にした、津波に流された廃墟は、宮城の閖上で見た廃墟を彷彿とさせました。

(高麗人参酒?)

(生活感が残されたまま)

福島というとどうしても原子力災害が強調されますが、津波の被害もとても大きいものでした。

(この家の主は、今はどこにいるのだろう)

そして、原発事故のせいで、3/12以降は捜索に入ることもできなかった。それにより、助けられるはずだった多くの命を失うことになった。

「原発事故で亡くなった人はいない」

未だにこんなことを言う人がいますが、それは妄言と言っていいと思います。何人もの人が無念の涙を飲んだ。3/27か28、この地域に捜索に入ったものの、遺体から大量の放射線が発せられたため回収できなかったというニュースもあった。自宅で餓死していたケースもあった。原発事故が原因で亡くなった人はたくさんいます。

セイタカアワダチソウに覆われた大地を見ながら、請戸小学校へ。請戸小学校は、今は柵に覆われ中には入れなくなっています。

ここは、震災の前日がたまたま避難訓練の日だったこともあり、学校に残っていた人たちは全員避難できました。勿論、生徒全員が避難できたわけではなく、犠牲者もいますが、それだけが救いでした。

(熊野権現様のご神体)

(この建物は、これからもずっと残していてほしいと思います。)

(津波でアスファルトが一車線分ずれている)

請戸は今も津波の傷跡が残ったまま。セイタカアワダチソウが生い茂り、除染で放射性廃棄物も増え続ける。空間線量は低いが、土壌の汚染は酷い。

あの家はずっと変わらず今もそのまま。あの場所は双葉町であり、帰還困難区域。

(海は美しい)

そして、双葉町の中間貯蔵施設も請戸から見ることが出来る。昨年11月に歩いた場所だ。「中間」というが、その後の受け入れ先は決まらないだろう。

<続く>


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鈴木邦弘
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