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2020年6月福島取材①/5.84μSv/h

「有料」とありますが、基本的に全て無料で読めます。今後の取材、制作活動のために、カンパできる方はよろしくお願いします。

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5月から、緊急事態宣言が明けようと明けまいと、双葉郡に行こうと思っていた。取材するにはこんなにいい季節はない。ましてCOVID-19蔓延で、電車は逆に空いている。

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5月後半からいつかいつかと狙っていたが、どうにも天候が優れずに6月を迎えた。そんな時、双葉から避難したOさんから、一緒に行きませんかとお誘いの声がかかった。これ幸いと、Oさんと会う日を6月8日月曜日に決め、その前の週末2日間は、いつも通り歩くことにした。目的地は双葉駅と大野駅。3月に行った時は2日目に雨が降ったこともあって、十分歩いたとは言い難い。

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僕は双葉郡を取材するときはいつもいわきを拠点にする。初日は、いわきで途中下車して、余分な荷物(着替え等)をコインロッカーにしまい、その次の電車に乗って双葉を目指す。これまでは特急ひたちにせよ鈍行列車にせよ、朝9時半頃にいわきに着き、それから約1時間後の鈍行電車で双葉に向かっていた。それが、3月のダイヤ改正により、9時半にいわき到着後の次の双葉行きの鈍行列車が、12:13まで出ないことになった(10:53発があるが、それは広野で止まってしまう)。常磐線全通で浮かれる人々の一体何人が実際に乗車したのか知らないが、僕にとっては「特急を使わなければ非常に効率の悪い取材」になってしまった。JR東日本は嫌がらせをしてるのかとさえ思う。

ここで「双葉駅のコインロッカー」と思った人もいるかもしれない。しかし、富岡も夜ノ森も大野も双葉も浪江も、どの駅にもコインロッカーは存在しない。

そんなわけで、朝5時に起き、6時過ぎの電車で上野に向かい、上野駅7時発のひたち1号に乗っていわきへ。6/6は緊急事態宣言がすでに解除されていたが、ひたちの乗客数は非常に少ない。県を跨いだ移動はまだ解禁されていなかったが、かといって罰則があるわけでもない。にも関わらず、みんなよくも政府の言うことを聞くものだ。

「新幹線の車内で感染した事例はない」とか専門家会議の尾身氏が言っていたが、ではなぜ「県跨ぎの移動は禁止」だったのか。何を根拠にそんなことを決めたのか。この国の「専門家」は、政府の都合でどうにでも意見を変える。原発事故直後を彷彿とさせる。「科学」なんてその程度のものだ。

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いわきに9:18着。さっと降りてコインロッカーに余分な荷物をしまい、再び駅のホームへ。9:30いわき発の鈍行列車に乗車し、双葉を目指す。見慣れた風景を見ながら線量計にスイッチを入れ、富岡を過ぎたところで鞄から出す。夜ノ森駅の手前から線量が上昇し、大野駅を過ぎたあたりで最高の0.81μSv/hを記録した。

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(大野〜双葉間にて。)

尤も、3月の双葉行きでわかってることだが、この路線はいわきへ向かう上り電車の方が高い数値を示す。この傾向は代行バス時代も同じだった。バスの場合は道路の右と左で線量が違うという仮説が成り立つが、電車の場合、この路線は単線だったはずで、どうにも理由がわからない。

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双葉駅へ到着。3月と比較して、駅の西側の工事が進んでいる。工事のせいで、駅西側から歩行者は出られない。何を考えているのか。

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東口に出て歩道橋か踏切を渡らなければ西口方面に進めない。ほとんど人は来ないと見越してのことなのか。ならばなぜ常磐線全通にこだわったのか。全ては聖火リレーのためか。バカにしてるのか。

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(どこまで入ってよくてどこがダメなのか、これでよくわかる。このエリアをいつか全部歩いてやろう。)

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苛立ちながら駅東口から出ると、役場職員に呼び止められた。

「線量測る機械持ってる? 貸してあげるよ」
「あ、あります」
「ああ、持ってるの。でも、貸してあげようか? データ取れるし」

なるほど、街中を歩いてどれだけ被曝するか調べてるのか。まるで人体実験、俺はモルモットか、と思いつつ、ここはひとつ借りてみることにした。自分の線量計の値と比べてもいいし。

「今日は駅で5人も降りましたよね。こんなこと、珍しいですよ」

やはり常磐線全通の時の喧騒は異常だった。「夜ノ森の桜」もよく話題になるが、桜の時期以外にあそこを訪れる人はほとんどいない。双葉駅にも、仕事以外で来る人はほとんどいないだろう。

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ステーションプラザふたばで手続きをする際の役場職員の対応はとてもよかった。「来てくれてありがとうございます」と何度もお礼を言われ、逆にこっちが恐縮してしまった。かと思えば、無言で僕を睨みつけ、「お前早く帰れ」と言わんばかりに仏頂面で僕の足に掃除のモップを何度もぶつけてくるおじさんもいた。人それぞれだ。

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(積算線量計。3年前に双葉に入域した際は、小数点以下は表示されないものだった。)

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積算線量計を身につけステーションプラザふたばを出てから、ふと見ると駅に待合室が出来ていた。3/14と15に来たときは、ここには何もなかった。

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「双葉町のいまとこれから」と題し、過去の双葉町の写真や震災後の写真などが展示してある。机の上には、ここを訪れた人たちがメッセージを書き込むノートがあった。

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ざっと眺めながら、どうにも複雑な感情が頭を巡った。「これから復興が始まろうとしています」…かつてあったものを壊して、新しいハコを作ることが復興なのだろうか。僕にはわからない。

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この日はまず、双葉駅から北に向かった。6月末から東京新聞で連載が始まることは決まっていたが、そのために取材風景の写真が欲しいと言われていた。場所も指定を受けていたので、そこへ向かった。

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(3月に来た時は0.27μSv/h程度だったと記憶しているが、この日は0.3を超えていた。)

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(18年5月、避難指示解除から1年2ヶ月が過ぎた浪江町でも、駅前駐輪所には震災時の自転車がそのままだった。ここはいつ撤去されるのだろうか。)

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このあたりでどうにかこうにかiPadが置ける場所を探し、撮影を試みる。iPadに放射性物質が付着しないよう、新聞紙まで用意して慎重に場所を選んで撮影するが、やはりセルフでは思うような写真は撮れない。仕方ない、あさってOさんに撮ってもらおう…とふと手元の線量計を見ると毎時3μSvを超えていて、思わず慌ててマスクをする。

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(道の脇では線量が上がる。この後3μSv/hを超えた。)

iPadを置いた場所は民家の脇の塀だったが、やはり道路の中心部から離れると線量が高いことを痛感する。

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その後、ネットで毎時4μSv以上の値を示していたモニタリングポストを確認していたので、まずはそのうちの1つを目指した。

線路脇の道を北へ向かいながら歩いていると、駅から離れるにつれ線量がどんどん上がっていく。

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(撮影した地点から30mも進むとこの有様だ。)

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(花は綺麗だが。)

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(福島県内の避難基準(毎時3.8μSv)を超えた。)

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道路の真ん中部分でも毎時1〜2μSvだったが、少し脇の草むらへ近づくだけですぐに線量が上がり、雑木林の前では毎時4.22μSvまで上がった。福島県内の避難指示解除基準は毎時3.8μSv(1日8時間外出、16時間屋内の想定で年20mSv)だが、それさえも超えてしまった。メディアは盛んに「避難指示解除」と強調するが、双葉駅前は「特定復興再生拠点区域」であり、住むことは出来ない。単なる「立入規制緩和」に過ぎないと僕が主張するのは、このように「除染が済んでおらず高線量エリアが多数ある」ことも理由の1つだ。

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線路沿いを歩いていると、特急ひたちの上り列車が浪江方面からやってきた。これに乗ってる乗客の果たして何人が、この場所が震災前の100倍以上の空間線量であることを知っているのだろう…なんだか遠い目で、去っていく電車を眺めていた。

その後、線路沿いから六国方面へ移動し、JAふたば総合営農センターへ。

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ここのモニタリングポストは、ネットでは毎時4.7μSv以上の数値が出ていた。果たして実際はどれくらいなのか…当時のまま残された車や倉庫を写真に収めつつ、手元の線量計にも気を配りつつ。

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(モニタリングポストは4.714μSv/h。)

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この敷地内はやはり線量が高く、ほとんどのエリアで毎時3μSvを超えていた。マスクをしつつ雑草をかき分け、チェックしていると、モニタリングポスト近くの雑草が茂ったあたりで毎時5.84μSvまで上がった。思わず息を飲み、しばし立ち尽くす…いや、この場所に立ち尽くしてはいけない。嫌な汗を背中に感じながら、早々にその場を離れた。

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その後、双葉町と浪江町の町境を目指し、さらに北へ進んだ。

<続く>

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