嘘は嘘であると見抜ける人はなぜ見抜けるのか?
ここ数日ネットでは「AED論争」なるものが展開されているらしい。
この論争の発端になったのは、ある人が「AEDを女性に使ったら訴えられた」とXに書いたからなのだが、この人の発言がどう見ても嘘くさいらしい。
このように、世の中には嘘を嘘と見抜けない人が多い。もちろん嘘だと気づきながら面白がっている人もいるだろうが、そういうことをしているといざというとき嘘を嘘と見抜けなくなるから注意が必要だ。嘘にはどんなときも近づかない方がいい。ぼくはそうしている。
これ以外にも、ネットは嘘で溢れている。フジテレビのスキャンダルでも、混乱に乗じて嘘を並べ立てる人は多い。そのときに、嘘を嘘と見抜ける人と、嘘を嘘と見抜けない人の違いはどこにあるのか? 嘘は嘘であると見抜ける人はなぜ見抜けるのか?
それは、「面白がり方の感度」の違いである。
どういうことか?
面白がり方の感度が低いと、嘘を嘘と見抜けない。面白がり方の感度が高いと、嘘を嘘と見抜けるようになる。
なぜか?
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