これからの競争社会を生き抜く上で不可欠な「哲学力」を鍛えるためのツール
映画というものは、一九七〇年代までは「愛(Love)」についての内容がないとなかなかヒットしなかった。その傾向が変わったのは、一九七七年に『スター・ウォーズ』がヒットしてからだ。
『スター・ウォーズ』は、一見するとSF、もしくはヒーローアクションに見えるけれど、実際はきわめて哲学的だ。別の言い方でいうと、作中に「考えさせられる問い」が多く、また「描いていないこと」も多い。
最初の三部作であるエピソード4、5、6では、描いていないことがあまりにも多かった。だから、結局その他のエピソードが作られることになった。とりわけ一番最初のエピソード4では、描いてていないことがあまりにも多かったため、多くの人がそこに哲学的な問いを見出さずにはいられなかった。
哲学的な問いは、作中に「描かれていないこと」があることによって発生する。『スター・ウォーズ』は、最初の設定が大がかりだったため、一作品分の二時間ではとてもではないが描けなかった。そのため「描かれていないこと」が発生したのだが、それが哲学的な問いを誘発し、映画の歴史を大きく方向転換させたのである。
なぜなら、『スター・ウォーズ』を未曾有の大ヒットへと押し上げた立役者こそ、その哲学的な問いだったからだ。多くの観客が、そこに強い魅力を感じ、何度となく映画館に足を運ぶこととなった。
そのため、以降の映画は哲学的な魅力を盛り込まないではいられなくなった。そんなふうに、映画は『スター・ウォーズ』の前後で内容が大きく変わったのだ。
それ以前の映画では、いかに「描くか」に主眼が置かれていた。いや実は、黒澤明をはじめとしてそれ以前にも「描かないこと」に主眼を置いた作家や作品はいくつかあったが、そこではまだその価値が潜在的にしか認められていなかった。あるいは、きわめて特殊な好みとしか考えられていなかった。
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