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日本史の土台にNIPPOあり! 時代が歩む“道”を作ってきました
こんにちは! 株式会社NIPPO人事部採用チームです。
さて、今回はNIPPOの「沿革/歴史」についての記事となります。
長い企業史のなか、「実はこうだったんです」ということをお伝えできたらと考えております。ぜひ最後までお読みください。
日本のアスファルト舗装とNIPPOの歴史
さて、ここで突然ですがクイズです。
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問題:日本で初めてアスファルト舗装が施工されたのは何年前でしょうか?
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正解は、今(2024年)から約150年前! 当時の人々の暮らしは文献を紐解いたり、映像作品など創作物からイメージをするしかないですが、現在とはまったく違った世界に見えるのでしょうね。
文明開花と日本初のアスファルト
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©天野屋
明治時代(1868〜1912年)といえば文明開花。
近代国家へと発展しゆく日本。当時の「道」は、まだ砂や砂利でできたものが一般的でした。欧米ではアスファルトによる道路舗装が急速に普及しており、東京府知事時代に岩倉使節団の随員として欧米を視察してきた「由利公正」は、アスファルト舗装の将来性を痛感。1878年(明治11年)、日本のアスファルト舗装第一号となる「神田昌平橋」の橋面舗装を実現させました。
実は「神田昌平橋」に使用された国産の「天然アスファルト」が「土瀝青」というものです。
そして、アスファルトの普及を目指して1907年(明治40年)に発足したのが、日本初の株式会社「中外アスファルト(株)」であり、この会社がNIPPOの原点となっています。
さて、ここでクイズです。
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問題:「土瀝青」という漢字は、何の意味を表すものでしょうか?
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正解は「天然アスファルト」です。
日本の歴史と共に進化してきた“道”とNIPPO
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さて、20世紀に入り、アメリカでは自動車社会が到来。世界はまさに道路舗装の革命期! ハイウェー建設が本格化しました。日本では1919年(大正8年)に「道路法」が制定され、ようやく舗装の普及が国策として本格化することになります。アメリカの特許技術「ワービット工法」が導入され、1924年(大正13年)、明治神宮外苑道路に舗装されました。この舗装は、現存する最古のアスファルト舗装として、土木学会の「土木遺産」に選奨されています。
この際、NIPPOの前身である日本石油道路部が日本で初めて「ワービット工法」用いました。結果、舗装事業は拡大していき、各地の道づくりへと活躍の場を広げ、阪神国道や皇居前の道路などにも広く採用されていったのです。
明治から大正、そして昭和へと時代は進み、国内は舗装事業が急速化していきます。
1934年(昭和9年)、NIPPO(当時は日本鋪道)が発足します。しかし世の中は戦争へと突入し、資材不足により事業は停滞、戦後の復興時も困難な状況に…。
しかし「荒廃した国土の復興には、道路の修復が第一!」という意志のもとに、業界の先頭を切って道路工事に着手していきました。いつの世も、人の想いが時代を動かすものですね。
経済成長を加速させた高速道路時代
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日本経済が回復し、工業国として急成長し始めた1955年(昭和30年)からは、「もはや戦後ではない」と言わしめた高度成長期へ。
自動車の普及も加速し、急激なモータリゼーションが押し寄せ、まさに高速道路時代到来!
しかし、当時の日本の道路網は貧弱。諸外国からも「日本の道路は信じがたいほどの悪路である」と酷評される始末…。
NIPPO(当時は日本鋪道)は、日本初の高速道路である名神山科工区の舗装工事を特命で頂きました。これがその後の指針となる大事な工事です。舗装会社の代表選手としてその重責を全うし、1961年(昭和36年)に無事に完成。
工事のコンサルタントとしてデータを取りまとめていたアメリカの代表からは、「全工程を通じて高級な出来映えである」と絶賛。NIPPOが日本の道路舗装業に歴史を刻んだ瞬間でもあります。
これからの交通インフラを支える
近代から現代にかけて交通安全や景観、そして環境に配慮し、その地域に相応しい舗装を提供し、人々に快適なまちづくりを演出する役割を担うまでになり、2011年(平成23年)、世界道路協会主催の「最優秀技術革新賞」を日本で初めて受賞し、「技術のNIPPO」として世界に広く知られるまでになりました。以上が簡潔ではありますがNIPPOの沿革となります。
日本の歴史の土台に、その“道”にはNIPPOがあると自負しています。また、これからの交通インフラを支えるのもまたNIPPOでありたいと考えています。ご興味がある方はぜひ採用サイトもご覧ください!
最後までお読みいただきありがとうございました!
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