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80の母、10年ぶりのイギリス

今年の夏、80になる母が一人で飛行機に乗って会いに来てくれた。最後に来てくれたのは2013年なので10年ぶりの渡英だった。そのとき父はまだ元気だったけど、長距離飛行機で腰が痛くなるのが嫌だと母一人で来たのだった。

あれから数年後、父は耳が遠くなり、言葉が出なくなってきて母との会話も難しくなっていった。補聴器を付けたがらない父のせいで母が耳元で大きな声で話さないといけなく、LINE電話で話す度に疲れると母が嘆いていた。その数年後に父に認知症の診断が降りた。父の介護で忙しくなった母は遠出することもほとんどなくなった。出かける先と言えば近所への買い物と社交ダンスの仲間とのお茶ぐらい。父がデイケアサービスにお世話になっている間のお茶の時間が母にとっての唯一の外でくつろげる時間だった。

私はそんな母の愚痴をうんうんと聞いて励ますことしか出来ず、このままでは母が壊れるという思いと何もできない歯がゆさでモヤモヤしていた。昨年私は夫と子供たちに相談して2か月ほど介護に行くために航空券を取ったのだが、父は介護認定が5になり老人ホームへの入居が決まってしまった。

結局父とはzoomで一度面会したきり。入居して4か月であっさりと亡くなってしまい、何のために日本に来たんだか、という私にお母さんのそばにいてあげれてよかったね、葬式に参加出来てよかったねと友人たちが励ましてくれた。思えばこんなにべったり母と一緒に過ごせたのなんて結婚前に日本に住んでいた20代のころ以来だった。

母は、死ぬ前にもう一度イギリスに行きたいな、でも無理だよね、とことあるごとにこぼしていて、イギリスに行きたい熱をちらちらほのめかしていた。その度にもう一度イギリスにおいでよと誘っても、無理無理、パスポートないし。お母さんもう80だよ。体力もないし、大きいスーツケースだって処分しちゃったし。と何かにつけて行かない言い訳を返していた。

私がイギリスに戻ってきて一か月後、母がわざわざパスポートセンターまで出向きパスポートを取得していたと知った。なーんだ、無理無理と言いながら本当はイギリスに来たいんじゃないの、、、と悟ってからは風向きが一気に変わった。母の航空券を片っ端から探し、家族との予定を組み、母の寝床を確保し、母のゴーサインを待って航空券の予約が完了。大きいスーツケースは軽量の良さそうなのを楽天で見つけて母宛てに届けてもらった。

母も段々心の準備が出来てきたが、ドコモのお兄さんに、本当に一人で海外に行くんですか?大丈夫ですか?と心配され、近所の友人にもまぁお一人で?と驚かれ、自信を無くした母がやっぱりやめた方がいいかな、とブツブツ言うのを社交ダンスグループの仲間だけは、いってらっしゃいと背中を押してくれた。

そして、ついに14時間の空の旅を終えて母がイギリスの地に降り立った。片耳が不自由な母のためにアシスタントサービスをお願いしていたおかげで、重いスーツケースも自分で運ぶことなく全てANAの方がやってくれたらしい。高速で渋滞にはまってイライラしている私とは正反対に、母はキラキラした笑顔で空港で私たちを待ってくれていた。

普通の暮らしが見てみたいという母の希望で、特に大きな旅行はしなかったが、普段LINE電話越しに見る景色を自分の目で見れたことにえらく感動していた。お年頃の孫たちは照れもあって昔のようにべたべたするわけではなかったけれど、同じ空間にいることをとても喜んでいた。というのを知ったのは母が去った日に息子が号泣していたからである。
3週間はあっという間に過ぎ、スーパーを何軒もはしごして買ったおみやげをスーツケースいっぱいに詰めて母は日本に帰って行った。母にまたしばらく会えないのは寂しいけれど、母が無事に帰路に着き、全身の力がスーッと抜けて行った。母滞在に向けて調べまくった内容の走り書きの紙が出てきて笑ってしまった。お母さん、無理無理って言ってたけど本当に来れちゃったんだな、と。

この3週間の滞在で明らかに母は変わった。以前よりずっと明るくなり、弱音を吐くことが少なくなった。イギリスになんてもう絶対に来れないと思い込んでいた母にとって、イギリスへの旅はただ家族に会うだけでなく自信を取り戻すよい機会にもなっていたようだった。80のお母さんを飛行機に乗せて、心臓発作でも起こしたらどうするのよ?と心配されたこともあったけど、今の母を見ていたら母がイギリスに来れて本当によかったと心から思う。

お母さん、今度は日本で会おうね!



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