鏡となり、傍に立ち。
今日、『あなたのじかん』という小一時間ほどお話を聞かせていただく時間に「澤さんが鏡のようになってくれたおかげで」というお礼の言葉をもらった。
それで、大学生の頃に何度も唄ったこの曲を思い出した。
こんなカバー写真にしなければよかったと、いま若干後悔したが、変えるのもめんどくさいので、このまま話を進める。
Mr.Childrenの『Mirror』。
ミスチルの中でもひときわ暗いアルバム『深海』の中の短い曲。
(余談だが、ぼくはミスチルのアルバムの中でも一、二を争うくらいこの『深海』が好きだ。二十代の頃のぐじゅぐじゅした想いが全部入ってる感じがする。)
中でも、好きなのは、後半のこの部分。
人前で 泣いたことのない
そんな強気な あなたでも
絶望の 淵に立って
迷う日も あるでしょう
夢に架かる虹の橋 希望の光の矢
愛を包む オーロラのカーテン
そのすべてが 嘘っぱちにみえて
自分を 見失うようなときは
あなたが誰で なんのために生きてるか
その謎が はやく解けるように
鏡となり 傍に立ち あなたを映し続けよう
そう願う 今日この頃です
当時は、お付き合いする女性とそんな関係が築けたらいいな、と妄想気味に唄っていたこのフレーズも、いま唄うと、ぜんぜん違って聞こえる。
あなたが誰で なんのために生きてるか
その謎が はやく解けるように
そのために他者にできることは、
鏡となり 傍に立ち あなたを映し続けよう
なのだ。
四十代の今となっては、とてもよくわかる。
人は、誰かに映してもらうことで、自分を見失わずに済む。
そのことの実りは、とても大きい。
僕がいま好んでいるしている「きくこと」は、そんなふうに相手の鏡となり映し返すことであるように思う。大好きな曲の感じが、仕事にまで流れていると思うと、人生って不思議だ。
そして、またこうも思う。
鏡は誰かを映すとき、それがどんな姿であっても「いいなぁ」と思っているのではないかと。
人の話をきくとき、それが明るい話であれ、暗い話であれ、うまくいっている話であれ、未解決であれ(だいたい人は未解決のことを話すものだけれど)、そんな「いいなぁ」を感じる。時には、スタジアムのサッカーファンのように熱を入れて応援してたくなることさえある。
鏡となり 傍に立ち あなたを映し続けよう
そんなことができる立場にいられることは、そもそも幸せなことなのだ。
そして、二十代の妄想がかなって、いま「あなたを映し続けよう」の「あなた」がいることを心から幸せに思う。
たとえ、そこに映るのが、楽しい景色だけじゃなくても。
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