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排せつについて。

今朝、友達と電話をしていたら、排せつの話になった。

排せつの話を人とすることはあまりない。はしたないとされているし、かなりプライベートなことでもあるからだ。でも、話してみると面白く、神秘的と言ってもいいほど不思議な現象だとわかる。実際、今朝も冗談みたいなやりとりからいきなり哲学的な対話になっていった。

たとえば、僕らが食べることの話は平気でするのに排せつの話をあまりしないのは、生の話ばかりして死の話を遠ざける態度に似ている。そして、死を思う時に生が輝くように、排せつの話をすると食べることの意味合いが変わってくる。生も死も、食べることも排せつも循環の一部にすぎない。そう思えた時に新たに見えてくるものがある。

また、毎日気持ちよく排せつができることは健康の証でもある。友人が接したあるお年寄りは排せつがままならなくなって、生きることを諦めてしまったようになったそうだ。排せつはそのぐらい生きることに直結している。

食べることと同じくらい、生きることにつながっている排せつ。でもなぜか汚いとか下品とかはしたないと言われる排せつ。なのに人と話し合うとどういうわけか非常に盛り上がる排せつ。下品から入って神秘までいける排せつ。子どもが大好きな排せつ。

昔は(今もだろうか)排せつ物を肥料にして土にまき、それが次の作物の肥やしになっていた。人体も食べたものも、みな土に還って新たな命となっていた。

そう思うと、土はすごいよな。きれいも汚いも全部ひっくるめて抱擁して、命にして返すのだから。なんてことにも排せつに思いを寄せると気づかされる。

ちなみに、排せつ物は赤ん坊にとって最初の創作物なのだそうだ。食べたものが消化液や内臓のはたらきやなんやかんやで複雑に化学反応して、最初とは全く違うものになって外に出る、という意味で。

それは僕が書いているこの文章だっておなじだと思う。思考過程のいろんなものを消化吸収して出された排せつ物のようなものを書いて、誰かに読んでもらったりしているのだ。

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澤 祐典
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