水と魚。
「水を得た魚のようだね」
と、友人・知人に何度か言われた。
ここ那珂川市南畑に来てからの僕は、自分でも驚くほどよく働いている。しばしばヘトヘトになるのだけれど、その様子は外から見ると「水を得た魚」に見えるらしい。
確かに、思うよりも物事がぐんぐん前に進んで驚く。「速すぎではないか」と心配になるくらい、ぐんぐん進むし、仕事をどんどん入れたくなる。こんなことは今までなかった。
これは明らかに自分の実力ではない。
「水」の部分が違うから、こんなにも進むのだと思う。
数年前から、僕は個人の力よりも環境のほうがずっと重要ではないかと考えてきた。名古屋から福岡への移住を決めたのも同じ理由からだ。「ここではないどこか」へ行ったら何かが変わるかもしれない、と考えることは貧弱なことだと思われているが、僕に起きたのはまさにそれだった。
人には「水」がいる。僕はそう思っている。
そして「水」のおかげで、僕はいま、くたびれながらも嬉々として働いている。
「感謝だなぁ。」
と、立ち止まるとき、よく思う。
ここに来なかったら、あの人に出会わなかったら、こんなふうにいきいきと働くことはできなかった。間違いなくできなかった。そのどれもが自分の力をこえた偶然がもたらしたものだったのだ。
そんなわけで「水を得た魚」は、水があるから泳げている。
その水というのは、土地の力でもあるし、僕を見えないところで支えてくれる人たちの、たくさんの手のことでもあるのだと思う。
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