聞くことの深にゃ。
こんばんは。猫です。
今日は、名古屋市千種区の西念寺さんというお寺で『聞くことの愉しみ、聞くことの深み』<破>というワークショップが開かれましたにゃ。
「聞く」を長年探求されてきた橋本久仁彦さんという人が大阪から来て、朝から晩まで、盛りだくさんでしたにゃ。
みんな、にゃんだか真剣な顔をして、橋本さんの話に耳を傾けたり、質問したりしていたし、ノートにも文字がびっしりだったけど、猫にはなにがなんだかわからなかったですにゃ。
でも、
さむかったけど、たのしかったにゃー。
ということで、こんばんは。澤です。
西念寺さんの飼い猫「くぅ」さんになごみながら、無事、会が終わりました。
いやー、なんという充実。
でも、まだあまり言葉になりません。
猫が言うように手元には今日書いたメモがいっぱいあるんですが、いま読んでも意味わかんねぇ(笑)。
やはり、あのとき、あの場で、あのメンバーとの間で、あの口調で語られたからこそ、命が宿った言葉だったんだなあとつくづく思います。そして、そのときの印象はちゃんと身体に刻み込まれている。
とはいえ、一つだけ、とっても重要だと思ったことをお伝えしますと、
聞くってね、こんな感じ。
・・・
・・・
・・・
・・・(まだ手を出さない)
・・・
・・・
・・・
・・・(まだ手を出さない)
・・・
・・・
・・・
・・・(まだ手を出さない)
・・・
・・・
すると、
わっ、
ひたすら相手の言葉についていき「歌」を妨げないようにしていると、人は自ずと最も重力の高いところに向かっていく。
その前にいくらでも「助けようか」「こんなことできるよ」と言いたくなるレスキューポイントはあるんですが、そこも全部ついていく。
そうすることで見えてくる世界がある。
そうしないと見えて来ない世界がある。
そんな「そのまま聞く」ことのすごさを、改めて認識させてもらった時間でした。
って書いてても、言葉が陳腐に思えてきます。
そのくらい、おっきなものを受けとって充たされた一日でした。
橋本さん、共同主催の吉橋さん、参加してくださったみなさん、関心を寄せてくださったみなさん、本当にありがとうございました。
今日は、2019年最初の新月。
新年の最高のスタートになりました。