「いる」ということ。
六月、北九州の門司に行った。
そこでお会いしたご家族の話をしたいと思う。
僕は、最初に奥さんと『あなたのうた』という仕事で知り合った。
「息子の歌をつくってほしい」
と依頼をくださったのだ。
奥さんは、昨年、19歳の息子さんを亡くされていた。
畏れ多いことだと思ったけれど、幸いにして『あなたのうた』はあと払い。
箸にも棒にもかからなくてもご批判を受けたらいいし、なによりこのご縁の先に行ってみたい思いがあり、お受けすることにした。
曲は、あっという間にできた。
つくったというよりも「降りてきた」という感覚に近かった。
自分でつくったという手応えがなかったことで、かえって安心してご披露することができた。
幸運にも喜んでもらうことができ、旦那さんも聴いてくださり、こんなふうにブログにしたためてくれた。
門司に行ったのは、その亨平くんにご挨拶したいと思ったからだ。
マンションの一室の奥の部屋に、彼のお仏壇があった。
そこには彼の好きなサッカーチームのユニフォームや、仲間たちのエールが書かれた色紙が美術館のように飾られていて、とても華やかだった。
お仏壇で手を合わせると 「明るくにぎやかだ」と感じた。いままでいろんなところで手を合わせてきたけれど、こんな感覚ははじめてだった。
それから、奥さんのお話をうかがう。
どんなに重たい話でも聞くつもりでいたけれど、語られたことの多くは、亨平くんのやさしさや意志の強さ、そして家族や友人との様々な楽しいエピソードだった。
やがて、旦那さんがお仕事から帰ってきた。
僕は、男性と話すのがすこし苦手だ。
まして、亡くなった息子さんの曲をつくるなんてことをしたのだ。ブログにはよく書いてくれたけれど、内心いやな思いをされているかもしれない、と一瞬、身構えた。けれど、旦那さんの柔和な笑顔にすぐに打ち解けてしまった。
その日、僕は夕飯をごちそうになった。
おいしいおいしいと言いながら、お二人と話をする間ずっと、最初にお仏壇で感じた「明るくにぎやかな感じ」がともにあった。
そのにぎやかさの中で、亨平くんのいろんなエピソードを伺い、笑って、感心して、すっかり彼と友達になったような気分になって。
不思議なことを言うようだけれど、僕はそのとき、亨平くんが「いる」と感じていた。そして、その存在感が僕たちをあんなにも元気にしたのだと、いまでも思っている。
もちろん、そこに悲しみはあった。寂しさも。
でも、それも含めてともにすると、なぜかほがらかな笑いがこぼれてきて、元気が出た。
「人は亡くなっても、いなくなってはいない」と聞いたことはあったけれど、あんなにはっきりと実感したのは、はじめてだった。
その晩、僕は亨平くんと「ダチ」になった。
だからこそ、彼と恋バナや結婚の苦労の話ができないことを残念に思った。
いる。でも、さみしい。
それはこんなふうに言っていいか分からないけれど、なんだか、心地よい感覚だった。
行く前は「神妙にしないと」と構えていたけれど、旦那さん、奥さん、亨平くんの人柄のおかげで、気心の知れた友だちの家に行くのと同じかそれ以上にリラックスして、本当に楽しい時間を過ごさせてもらった。
感謝しかない。
2019年のお盆がやってきた。
亨平くんやご家族のことは、僕にとってとても大きな出来事だったけれど、よそ様のことを勝手に美化してやしないかとか、いやな思いをされたらどうしようなどと考えるので、どんなふうに語ったらいいのか、語ってもいいのか、いつもためらう。
亡くなった方のことをどんなふうに語ったら、失礼にならないか。
どうしたら、享平くん、よろこんでくれるかな。
そうした問いに「これでいい」なんて答えはない。
でも、やっぱりどうしても書きたくなってしまって、ご家族に了解を得て、公開させてもらった。