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Like a rolling stone.

昨日、未二観(みにかん)とその催しについて書いた。

で、7月2日の会のために奥さんと未二観をしたり、『あなたのうた』で未二観をしたりしている(『あなたのうた』で曲を作るベースとなる15分間のお話は、未二観のかたちで収録しているのだ)。

普通の会話やインタビューにはない聞き方なので、はじめての人には説明を入れているのだけれど、最近「自重(じじゅう)」ということを言い出した。「自重(じちょう)する」の方じゃなくて「自重筋トレ」の自重だ。

発した言葉が、誰からの影響も受けずに、自らの重みだけで転がっていく。それについていく15分間、という感じで。

基本的に会話というのは、話して、聞いて、また話して、と、キャッチボールやテニスのラリーのような形で展開される。

そのラリーの中で新しいことを思いついたり、うまく言えないことを相手が言ってくれたりといった創発があったり、なかったりする。

ところが、未二観の場合は、ラリー自体がない。
聞き手の僕は質問しないし、応答もほとんどせず、ただ「辿って」いるだけ。相手も話したければ話す、話したいことがなければ、ただ黙っている。

そうすると、15分間「純度100%のその人の言葉」だけが残る。
実にフレッシュな、生まれたての言葉たちだ。

これを文字起こしして読むと、言葉が次の言葉を呼んで、自ら意味を広げていく様子がみてとれる。

そして、自重だけである結論に向かっていくのもわかる。
まるで、言葉が行く先を知っているかのように。

しゃべっているときには気づくのは不可能だが、読み解くとそれは驚くほどの整合性を保っている。時には外界の音とも同調していたりする。

「次になにを話すか」ということは、他者にも、実は本人にもコントロールできない。その不思議な「話す」という営みが可視化される経験、それが未二観だ。

僕はこういう「自分さえもコントロールできない成り行きのようなもの」がわりと好きで、それに左右されるのをいつも面白がっている。

人はもしかしたら自分の人生をコントロールできていると思い込んでいるだけかもしれない。

そうは言っても、あんまり思い通りにならないと、くやしいんだけどね。

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澤 祐典
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