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ずっと聴き続けること。

昨日、記事にしたこのインタビュー。

今日もこのことを考えながら、つくづく「聴き続けるってすごいし、面白い」と思った。

向谷地さんは「無差別殺人」が「寂しい」「つらい」に萎むまで、青年の話を聴き続けた。

そして青年は、働きはじめた。

他には誰も、それをする人がいなかった。

うちの夫婦げんかが落ち着くのも、怒りの応酬をお互いが聴き続けた後だ。そこで新しい理解が生まれ、先に進める体感がある。

鼻歌から一曲になるまでを伴走する『作曲事始』という仕事では「曲の声」を聴き続けることが、つくったご本人を聴くことになっている。

夏からご一緒している藤田悠貴さんは、この間のセッション

の後に、こんな感想をくださった。

澤さんの作曲レッスンは、作曲にとどまらず、ありのままのあり方とか、降りてくるインスピレーションを受け取るとか、創造性に繋がり続けるとか、本当に大事なとこと繋がってることで生まれてくる面白さを伝えてくれてるからこそ、作曲だけにとどまらない深い気づきに繋がるんだと思ってます。

こうしたことは元々『作曲事始』でやろうと思っていたわけではなく、悠貴さんの曲とお人柄に面白がって関わっているうちに、仕事そのものが変質していってしまったのだった。

僕の「きくこと」の師匠、橋本久仁彦さんは、こないだ奥さんに人の話を「物語を読むようにきく」と語ったらしい。

どんなに荒唐無稽に思えても、その人の話の中に入って、いっしょに考える向谷地さんの姿勢と似ている気がする。

僕はよく奥さんの話を「ありえない」といって否定してしまうけれど、人は誰だって、自分だけが知る物語を生きているにすぎない。

もしかしたら、人が本当に欲しいものは、自分の生きている物語を聴き続け、いっしょにそれを生きてくれる人なのかもしれないな、と自戒を込めて思う。

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