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土地の物語、人の物語、わたしの物語。

昨日も書いたけれど、福岡県那珂川市、南畑にきて四週間経った。
すでに仕事も本格化し「次はあれをしなくちゃな」と考えをめぐらす日々を送っている。仕事のことを考えすぎて、奥さんの話が半聞きになり、寂しい思いをさせたりもした。反省している。

たった四週間で、自分がある「流れ」の中にいるのを感じている。
一ヶ月前には存在すらしていなかったのに、この町のいろんな場所が、たくさんの人たちが、自分の人生に流れ込んできている。そして僕もまた、その人たちの人生の中に登場しはじめている。

そうして、なんらかの物語が綴られはじめているのを、感じる。

たとえば今日引っ越して(しないけど)、この土地を離れてしまえば(しないけど)その「流れ」は断ち切られる。でも、ここにいる限り、僕たちは「流れ」から逃れることはできない。物語は続く。

東京、千葉、名古屋、大阪といろんな土地や職場を転々とする中で、場所には引力のようなものがあると確信するようになった。それは誰がえらくて誰がえらくないといった力学にとどまらない、人が集まるときに現れる見えない力。「流れ」とは、この力の集積だ。

一言一言交わす言葉が、次に行く先を決める。話す前にはそんなことを言うなんて思ってなかったのに、どこからともなく現れた言葉が、進路を大きく変えていく、そんな力。それが川の流れのように連なっている。

誰にも属さない、しかし誰ともつながっているその力が、物語を綴る。僕たちはその物語の一部として動かされているにすぎないような気もする。

自己実現、という言葉があるけれど、僕たちがなにかを果たしたり、果たせなかったりするのは、場が生み出す力との相互作用の結果にすぎないのではないか。そのとき実現される自己とは、単に場(の物語)が期待する役割を担っている状態にすぎないのではないか。そう思う。

仕事の流れがいったん止むお休みの日には、そんなことを考える。
いずれにせよ僕はここ南畑にある強い「流れ」に飲み込まれている。どこに向かっているのかわからないが、はっきりとした方向性を感じる。土地が望む役割に導かれている感じもする。

僕はこの土地の物語の一部として、なんらかの役割を果たすのかもしれない。どんな役割だろうか。なんの役に立てるだろう。

そんなことを感じ、考えるようになったのは、やっぱりこの土地がはじめてで、そのことに驚いている思考と「それが普通だ」と感じている体とがせめぎ合っている。

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