傷つけられたら牙を剥け。
CHAGE AND ASKAの『YAH YAH YAH』は、フジテレビ系のドラマ『振り返れば奴がいる』の主題歌だった。脚本はあの三谷幸喜さん。
織田裕二演じるダークヒーロー司馬が、めちゃくちゃ魅力的だったことを憶えている。そして『SAY YES』を爆発的にヒットさせたチャゲアスが、それまでのイメージにはない攻撃的なこの曲で再び200万枚を超えるメガヒットを記録したことも。
つかんだ拳を使えずに
言葉をなくしてないかい
傷つけられたら牙を剥け
自分をなくさぬために
僕がひらいているワークショップ
『魂と繋がる歌の唄い方®︎』~男が『男になる』とき
の大事なところは、この四行で言えちゃってるのかもしれない。
拳を使えずに言葉をなくす。
牙を剥かずに自分をなくす。
そういうことって日常的にあると思う。
そして、そうすることを、僕は長らく「やさしさ」と勘違いしてきた。
いつも相手の出方をうかがって、自分からはなにもしないし言わない。
児童館で関わる中高生や大学生にもそういう子が増えているけれど、そういう非接触型の「やさしいふり」は、やさしさとは違うのだと思う。
僕は怒ったり、人ともめたりするのが苦手だ。
気まずいだけでも嫌なくらい。
無用ないさかいは避け、いつも仲良くにこやかに過ごしていたい。
でも一方で、時におぼえる怒りを大事にしたり、「それは違う」と人に言ったりする必要を強く感じてもいる。
たとえば、傷つけられた時。
牙を剥いて「NO!」と言わずに飲み込んでしまうと、大事なものを守れない。相手に自分がどんな存在であるかも伝わらないし、それが続くと、自分で自分のことがわからなくなってしまう。
「NO!」と言ったり言われたりすることは、人間関係に緊張を生む。
勇気がいるし、伝え方にも工夫がいる。
でも、そうすることで、お互いがより理解できたり、絆が深まったりする。
お互いが飲み込んだままの一見「やさしい」関係では得られない安心感が生まれる。時には「NO!」と言うことの方が、やさしかったりもする。
牙を剥いて、拳を使うには、勇気がいる。
安定した関係を壊すのだ。
肚を決めなければ、怖くてとてもできない。
「男が『男になる』とき」は、その勇気の出し方や肚を決める感覚を思い出してもらえる場だと思う。
YAH YAH YAH YAH YAH YAH YAH
と拳を高くかかげて叫ぶようなことは、僕たちの日常にはほとんどないが、ここなら思いっきりやれる。
そして、歌う中で現れた勇気が、肚が、拳が、行き詰まった日常を、人間関係を、人生を壊し、みずみずしいものに変えていく。
僕は臆病者だけれど、こわごわと行使してきた勇気が、いつも新鮮なほうへ人生を導いてきた実感がある。
毎回「できれば避けたいなあ」と思いつつ、そのときにはぐっと覚悟を決めて、やる。
そうすることで、切り拓かれる地平があった。
『魂うた』が、そして「男が『男になる』とき」が、来てくれた人たちにとってそんな人生を拓くきっかけになったらと思っている。
そして、いろんな場所で行使された拳が、世の中に風穴をあけ、滞った場所の風通しをよくしていってくれたらと。
今から一緒に、これから一緒に、殴りにいこうか。
YAH YAH YAH YAH YAH YAH YAH ‼️