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かわうそ丸とわたしたち。

東京に住む友人と先日、福岡空港で会った。
友人のところもうちと同じ、息子が一人いる三人家族。4歳になるその子は人見知りがはげしく、あまり他の人に心を開かないという。

空港の到着口で合流すると、息子くんはお父さんに抱っこされたまま、頑なにこちらを見ようとしなかった。手にはぎゅっとなにかのぬいぐるみを握っている。一年前に遊んだことはあったけれど、どうやらその時のことはおぼえていないらしい。

「赤ちゃんに会うのを楽しみにしていたんだよ」とお母さんはいうが、あまりそうは見えない。話しかけても、恥ずかしがってもじもじしてしまう。そんな様子をかわいらしく思いながら、僕たちはタリーズへ向かった。

そこそこ混んでいたけれど、全員が座れる席を見つけて座ると、息子くんはぬいぐるみに向かってなにか話しかけている。「かわうそ丸がごはん食べたいって」。ぬいぐるみはかわうそ丸といって、息子くんと大の仲良しらしい。

チャンス、と思って、かわうそ丸にコンタクトを試みる。「へー、かわうそ丸っていうんだ。かわいいね」。息子くんはこちらには反応せず、話を進めていく。「なにが食べたいの?パンかな、くだものかな」。それに乗っかって「パンはいいねえ」などと言っているうちに、かわうそ丸がテーブルの上を散歩しはじめたので、僕は手を蜘蛛のかたちにしてついていくことにした。

30分後、僕と息子くんはすっかり打ち解けて、タリーズの中のキッズスペースで大あばれしていた。息子くんは台所のおもちゃに夢中で、棚の中に自分のトミカを入れたりして遊んでいる。キッズスペースにはよその子どもたちもいて、時々僕に話しかけてきたけれど、そうすると、息子くんが俄然前に出てきて話を強引に戻そうとする。

かわうそ丸はそのとき、お母さんのバッグの中で眠っていた。役目を終えたのだ。

かわうそ丸が間に入ってくれたおかげで、僕は息子くんと話したり遊んだりすることができた。かわうそ丸は息子くんと外界との接点なのだ。恥ずかしくて仕方がない息子くんにちいさな勇気を与え、外に連れ出してくれ、すべき体験に向かわせてくれる。それも本人のタイミングで。まるでのび太くんを見守るドラえもんのように。

素晴らしいもんだな、とかわうそ丸の仕事に感心してその日は帰ったのだけれど、そういえば、わが家の赤ちゃんも僕や妻にとってのかわうそ丸になっていることがある。

たとえば今朝、散歩のときに僕たちは猫のエサやりをしているボランティアの方と話した。いつも道着を着て空手の型を練習している女性だ。ここに住みはじめてから四年間、僕も妻も海沿いの道で拳を繰り出すその人の存在には気づいていた。けれど、話しかけるきっかけはなかった。

ランニングをしながら、夫婦で話しながら、赤ちゃんを抱っこひもに乗せながら、三人で海を見ながら、僕たちは空手家さんの前を通り過ぎた。決して交わることなく、何度も何度も。

赤ちゃんが猫に興味をもったことで、そこに接点が生まれた。「見せてもらってもいいですか」と一声かけたことによって、空手家さんはここにいる猫が「地域猫」であること、そのボランティアを五年近くしていること、最初は別の公園ではじまったものであることなどの経緯を教えてくれた。今日は猫たちもたくさん出てきていて、一匹ずつ名前と性格(ビビリである、肝が据わっているなど)も解説してくれた。

こんなふうに関わりがはじまったのは、空手家さんだけじゃない。赤ちゃんがいたことで、子どもプラザのスタッフさんとも知り合いになったし、近所に住む犬を連れたママさんとも話をするようになった。僕一人だったら決して話しかけることはなかった人たちだ。

内向的な僕たち夫婦に「顔見知り」が増えつつある。社会との小さな接点が生まれはじめている。それはどう考えても赤ちゃんがかわうそ丸と同じように僕たちの手を引いて、ほんの少しの勇気で済むようにしてくれたからできたことだった。

もしかしたら、赤ちゃんは『ドラえもん』第一話でのび太くんの机から飛び出してきたような、僕らの未来をよくするために外へと連れ出しに来た存在なのかもしれない。そんなことを思いながら、じわじわと思いもよらぬ方向に広がっていく、新たな世界に思いを馳せた。

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澤 祐典
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