面白がる人。
昨日、こんな動画を紹介してもらって驚いた。
『あなたのうた』の参加者、木村公紀子さんが、ダンサーの Tomoko Miyata さんに依頼して踊ってもらったという。
驚いたし、うれしかった。
できた曲を歌ったり聴いたりすることはあっても、こんなふうに楽しんでもらえるとは、想像していなかったからだ。
『あなたのうた』は、15分聞かせてもらったお話から、世界に二つとない、その人だけの歌をおつくりする仕事だ。
通常、大物歌手くらいしか経験しない「私のために歌をつくってほしい」という依頼を、一般の、歌わない人でもできるようにした感じ、といったらいいだろうか。
ここで出来上がった曲は、ご本人のみならず、僕にとっても特別な一曲になる。だから、聴いてもらえたり歌ってもらえたり、せめて時々、思い出してもらえるとうれしい。
そこに「踊ってみました」である。
曲が Tomoko さんの身体を通して「再生」されるのを見て「こりゃあ、作り手冥利だし、歌もうれしかろうなあ」と思った。
それもこれも、公紀子さんが『年表』という曲を面白がって、大事に思ってくださったからこそ。
そして、大げさでなく『あなたのうた』という仕事は、こういう「面白がる人」がいなかったら、世に存在できなかったと思う。
昨日「ずっと聴き続ける」話にもつながるけれど、「面白がる」って、それまで認められていなかったものに居場所を与える力ではないかと思う。
それは善悪をこえる。
道徳や倫理をこえて、物事に、さらには人に居場所を与える。
「べてるの家」の向谷地さんが、無差別殺人をほのめかす青年の語りに居場所を与えたように、公紀子さんをはじめとする『あなたのうた』の二十余名の参加者は、この活動に「あってもいいんだよ」とお墨付きをくれた。
自分では面白いと思うんだけど、他にぜんぜん見当たらない。
そういうまったく新しいものが生まれるとき。
それを世に出すのは、創作者ではなく、それを最初に「面白がる人」たちだと思う。
だから「面白がる人」たちは、世に新しい価値を生み出す産婆のような存在でありながら、
その仕事は、インディアンの贈り物のようにさりげなく、他の人からに悟られることはない。
そこが格好いいと思う。
「わぁ、なんか面白いな。すてきだな」
誰も認めていなくても、誰にもいいと言っていなくても、むしろ、誰もいいと言っていない時だからこそ、その感性は貴重だと思う。
なんかね、それって、すごい仕事だと思うんですよね。
お金には換算できないけれど。