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let it be.

それは昨日の、夜。
僕は赤ちゃんとお風呂に入るため、浴室で全裸になってベビーバスの準備をしていた。妻は僕からの準備完了の合図を待ちながら、部屋で赤ちゃんと過ごしている

……はずだった。

「きゃーーー!」

聞こえてきたのは妻の悲鳴。その直後に赤ちゃんの「ぎゃー!」という火のついたような泣き声がしはじめた。

「ごめんね!ごめんね!お母さんが悪かった!」

何事が起きているのか分からず「どうしたのー」と声をかけると

「大丈夫!」

と鋭く短い返答。でも赤ちゃんの泣き方も、妻の様子も大丈夫とは程遠い。もう一度「どうしたのー」とさっきより大きめに声をかけたものの、返事はない。

状況の見えなさとただ事ではないことが起きている予感に焦れて「なにが起きているのか状況を教えて!」と叫んだ。なにしろこっちは風呂場で全裸。このまま待機していいのか、助けに行ったらいいのか、いまのままではどうすることもできない。

「赤ちゃんが部屋で、した!」

すぐさま服を着て状況を見にいくと、寝室の真ん中に ”それ” はあった。『Dr.スランプ・アラレちゃん』でしか見たことのないような、くるっとトグロを巻いた ”それ” が部屋の中央、フローリングの床の上に let it be されている。

When I find myself in times of trouble
Mother Mary comes to me
Speaking words of wisdom
Let it be

The Beatles『Let it be』より

ポール・マッカートニーは苦境に立たされているとき、母メアリーに「あるがままになさい」と言われたそうだ。そして、わが家の寝室で、わたしたち夫婦はいま、 ど真ん中に let it be された ”それ” を前に固まっていた。

僕は妻と何事か話し(なにを話したかは忘れた)再び服を脱いで風呂の準備をした。我に返った妻は赤ちゃんを裸にして風呂場まで運び、僕はわが子を受け取って風呂に入れた。

赤ちゃんの入浴が終わり、脱衣所の妻に託して、一人きりで湯船に浸かる。まだ焦った余韻がいら立ちとして残っていたが、次第にそれは笑いに変わっていった。

寝室のど真ん中に let it be されていた ”それ”。かつて種田山頭火は「分け入っても分け入っても青い山」などの自由律俳句を詠んだが、日常ではまずお目にかかれないあの光景は

寝室の真ん中に糞

と詠みたくなるほどの静謐さをたたえていた。

「いやー、なかなかないよね」と脱衣所に向かって笑いながら声をかけると、緊張した空気がふっとほぐれた気がした。そして、妻も笑った。

翌日の今日、一年ぶりに東京から来た友人と会って帰ってきた後、妻と二人でオムツ換えをしたところ、ずいぶんむずかって履かせるのに手間取った。

僕が赤ちゃんの体を支え、その間に妻が右足、左足の順にオムツを履かせようとしている間に「しゃー」と音がした。「うぉっ」と声をあげて見ると、赤ちゃんが僕のズボンと靴下に let it be していた。

「あるがままになさい、あるがままになさい」とマザー・メアリーがささやく。僕はもうこわいものなど何もないような気がした。

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澤 祐典
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