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続、読書強化月間
神輿を上げつつ、何故こんなにもフットワークが重いのかと考える昼過ぎ。
こういったものに限って特筆した理由がないのは、最早自明ですね。
そして、それを認めたくないという感情も自明です。
判で押したような暮らしをするうち、意外性を求める心すら失うのは時間の問題。
それに抗う術こそ、読書です。
そう、読書なのです。
積読本たちにもうっすら埃がつもり始めたところで、そろそろ消化しなければなりません。
読書強化月間です。
今回は映画化したことでも話題、川村元気さんの「四月になれば彼女は」です。
4、5年前に単行本を見かけてはいたのですが、なぜかずっとスルーしていました。
あるあるですね。
映画の宣伝を見ていたので、なんとなくその俳優さんたちで考えてしまいますが、できるだけ先入観を抱かないように努めたいと思います。
川村元気作品は「世界から猫が消えたなら」以来数年ぶりになるので、やや緊張気味ですが、元気にやっていきましょうね。
※ここからはネタバレを含みます。
四月になれば彼女は
4月、精神科医の藤代のもとに、初めての恋人・ハルから手紙が届いた。だが藤代は1年後に結婚を決めていた。愛しているのかわからない恋人・弥生と。失った恋に翻弄される12か月がはじまる──
なぜ、恋も愛も、やがては過ぎ去ってしまうのか。川村元気が挑む、恋愛なき時代における異形の恋愛小説。 解説・あさのあつこ
惰性の中ですら育まれる愛に対して、どのように接していくのか。
そもそも"愛する"とは、どのようなことなのか。
各人の価値観によって紡がれる会話が印象的な物語でした。
空論になりがちな話題を、地に足をつけて語り合う登場人物たちは、遠心的でありながら臆病でもあるんですよね。
彼らは過去・現在・未来を見た時に、誰かを手放しで愛することに負い目を感じているのだろうと思います。
純粋な気持ちで愛したいと思いつつ、それができない現実の自分に苦しんでいる。
ある意味、愛することに容赦がないのです。
作中に登場する、奈々という人物はそれを顕著に表しています。
藤代の後輩として描かれる彼女は、精神科医になりたての頃にある少年に出逢います。
彼は摂食障害を患っており、担当医の奈々を「最後の砦」と呼ぶほどに信頼していました。
ところがしばらくして、奈々に転勤の話が持ちかけられます。
少年の治療にのめり込み過ぎていることを自覚していた奈々は、悩みながらも転勤を受け入れることにしました。
後に、担当を外れることを告げられた少年は、激しく取り乱しながら、「僕はどうやって生きていけばいいんですか」「助けてください」と何度も奈々に縋ります。
そしてそれを見た彼女は、医師という立場でありながら、少年のことを抱きしめて口付けをしたいという衝動に駆られます。
結果的に、奈々は少年と一線を超えることはありませんでした。
しかし、彼女のなかで少年の存在は大きくなり過ぎてしまい、それ以降男性に触れることができなくなります。
医師として、少年を治療することを目的とするならば、奈々の選択は恐らく最適解でしょう。
彼らの関係に恋愛に持ち込むことは、依存関係を深める危険性を孕んでいます。
かたや奈々の抱いた感情が完全な間違いであり、独善的なものであったとも言い切れません。
そこには、少年を救いたいという純粋な思いが少なからずあったはずです。
最終的にどの選択をしたとしても憂いは残り、選択しなかった一方を嫉んでしまうのでしょう。
作品の特性上、これらに言及すると堂々巡りになりかねないのでここまでにさせていただきますが、どこか他人事とも思えない話に感じましたね。
愛することを怠ったとしても、愛する人がそばにいる。
それは否応なく幸せなことだと思っていました。
しかし裏を返せば、募る負い目をどこにも持ち出せないまま、相手との溝を深めることと同義なのでしょう。
作中の彼らの選択がどうであれ、そこに至るまでの感情を蔑ろにしない描写は、川村元気作品特有のものですね。
普段向き合わない題材を扱っているため、脱線しがちな感想になりましたが、心に刻み込まれる作品でした。
積読本が増え続けるというジレンマを傍目に、機会があれば同著者の他の作品も読んでみたいですね。