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日記 2025.1.22(水) 台所の楽しみを伝え譲る。
7時半起床。気圧の変化を感じる。頭が重い。今朝は気温が下がったようだった。久しぶりの冷たい朝。
起き上がり台所へ。暗い台所。ストーブが一台だけ付いていてまだ電気は付いていなかった。わたしよりもずっと早く起きたお母さんはまだ洗面所にいる。今日はお父さんはリハビリの日だ。急いで台所を稼働させよう。
お父さんはお味噌汁とご飯を自分でよそって食べ始めた。冷蔵庫の中にあった蒸し芋とポテトサラダの残りをお皿に盛りつけて出す。ストーブの灯油が切れていた。給油しようと外に出るとポリタンクの灯油もなくなってしまった。20リットルのポリタンク10個分をついに使い切ってしまった。予備用の大きなドラム缶にはまだいっぱいに在庫がある。しかしここからの給油の仕方が分からずに断念。あとからお父さんにやってもらおう。灯油を注文しなくちゃいけないかとか、プラスチックゴミの回収が今日だとか、今朝は珍しくバタバタとした朝だった。
お母さんは月曜日にすっぽかしてしまった民生委員の仕事で見回りに行くとはりきって出かけて行った。お母さんは民生委員の仕事を楽しんでやっているのが分かる。それをあんまり人に言わないのはどうしてだろうと思う。もっと、わたしは楽しくやっていると本当のことを広くみんなに言って欲しいと思う。
お父さんはリハビリのお迎えの前にはバタバタしたくないと言うのでわたしがプラスチックゴミをゴミステーションまで出しに行くことにした。軽トラックのフロントガラスが凍っていたので暖房をぶおーっと回して氷をとかしていく。やはり今日は寒い。
帰ってきてから洗濯物を干し、お風呂掃除もささっとやっておく。編み物にゆっくりと集中したいのでいつもの家事をてきぱきこなしていく。雑にならないように気をつけながら、でも早く編みたい。
朝ごはんの洗い物を済ませて、さあいつもの家事は一旦おしまい。ゆっくり座って編み物の時間が始まる。昨日用事をしながらコツコツと編んだ分、結局全部ほどくことになってしまった。途中で目数が増えていたのでそこまで戻ってやり直そうとしたが、輪針を外して糸をぷりぷり外していたら元に戻せなくなってしまった。まだ編み地の構造のことがよく分かっていないのだと思った。
全部やり直したほうがいいよとお母さんがあっさり言う。全部ほどくことを決心する前に一瞬の絶望感を味わった。でも練習になるし手が慣れてくれば早く編めるようになるはずだから大丈夫だとさっと切り替えた。編むこと自体が楽しいことだからそう思えるのだと思う。編み物をしたいという気持ちにわたしのこれからの仕事の仕方を重ね、考えてみたいと思った。
糸を全部ほどいたらなんだか清々しくなった。ほどきながら糸が何度か行ったり来たりしているということが分かる。手を止めてまた編み始める時に逆に進んでいたようだ。そういう場所がなんヶ所もあってお母さんと二人で観察しながら笑った。やっぱり全部ほどいて編み直しをすることにしてよかったと思った。
再び編み直しをすると、やはり編む手が早くなっていた。指先も自然とやりやすいように動いてくれて、ちょっと驚く。昨日編んだ10段くらいまではなんとか編み進めたいと思いながら編んでいたら午前中いっぱいでそれくらいまで到達した。もう何度か練習したのでいつも忘れる編み始めの部分、作り目の部分の編み方も覚えている。忘れないうち、覚えているうちに何個かニット帽を作っておきたいと思った。体に、心に、指先に、動きを染み込ませたい。作品をいくつか作っていこう。それを欲しいと言ってくれる人がいたら、渡してみたいとも思う。まずはお父さんとお母さん、わたしのために作ってみたらいいのかもしれない。
お昼ご飯は今日もお母さんが担当してくれる。朝ごはんが遅めだったのと編み物をしながらお菓子を食べたりしてなかなかお腹が空かなかったがお母さんは料理がしたいようだった。昨日久しぶりに料理をして楽しかったのがまだ続いている様子のお母さん。わたしが楽しそうに編み物に熱中していることもお母さんに影響を与えているのだと思う。あんかけラーメンというのをどこかのチラシで見てそれをイメージしながらうちにあるもので工夫しながら作ってくれた。白菜とにんじん、椎茸など入ったあんかけを茹でて水でしめた生麺にかける。お腹が重たいので量を少なめにして作ってもらったらちょうどいい量ですごく美味しく食べられた。美味しいねとちゃんとことばにして伝えてみる。嬉しい、お母さんは素直にそう感じているようだった。
今日はお昼寝をする間も惜しんで編み物を続けた。途中で肩が凝ってきたが手を止めたくない気持ち。お昼からは場所を変えて台所の陽の当たる場所、カーペットの上で編んでいく。手が慣れてきたらおしゃべりをしながらでも間違わずに編めるようになってきた。こうなってくるとほんと楽しい。お母さんはずっと台所に立ちながら細々と動いていた。咳がまだ残っているお母さんは29年前のかりん酒を飲んでおいしいとはしゃいでいる。お母さんの機嫌がいいと家の中がやたら明るい。
今日もお母さんがたくさん家事を請け負ってくれたし、そろそろ疲れている頃だと思った。洗濯物を取り込むというのでここへ持ってきてくれたらわたしが畳むよと声をかける。ふふーん、と喜んでくれた。お母さんが取り込んでくれたたっぷりの洗濯物の上にぱしゃーんと寝転がり、数分だけ目を閉じて休んだ。
今月はゴミステーションと公民館の掃除の当番の当番らしくそろそろ掃除をしに行きたいと思っている。今日出したゴミの回収がきちんとされているか気になったのでお母さんと散歩がてらチェックすることにした。お母さんはトレッキングポールを持ってもらって、トレーニングもできるようにしてみる。ほんの400mくらいの距離だが、トレッキングポールを持てばちゃんとトレーニングにもなると思う。夕方の集落、誰も歩いていない道。鳥たちが藪の中にいるのが分かる。せわしなく飛び回っている。人の気配に驚いているのだろうか。日が落ちてきてだんだんと冷えてきた。
夕飯は台所担当をお母さんとバトンタッチ。今夜はイノシシのお肉を使って鍋にすることにした。白菜、大根、にんじん、長ねぎ、ごぼう、お母さんが戻しておいてくれた干し椎茸、厚揚げを土鍋に並べていく。昨日買った野菜がたっぷりとあるから思いきって使うことができるのがうれしい。すりおろした大根にイノシシ肉をつけておく。これはお肉をやわらかくするためにするのだがもっと早めに漬けておけばよかった。でも大根おろしごと鍋に入れられるからいいか。お鍋だけだと少しさみしいかと思いトマトとわかめのナムルを作った。
実家の台所の楽しみをお母さんとお父さんに伝え譲りつつ、わたしは新たに編み物の世界へと繰り出している。わたしは毎日の食事をつくることにもう不安がない。台所はわたしにとってはっきりと安心安全な場所となっている。実家の台所、わたしひとりの台所、どの台所でも毎日の安心を作っていけるような気がする。台所という場所はいつもわたしを守ってくれるおだやかな場所となった。
そして今、わたしは台所に物足りなさを感じ始めている。保存食を作ったり、毎日の食事をつくることに慣れてきているからそう思うのかもしれない。わたしの台所のベースが整ったからともいえる。わたしの台所は静かでおだやかで少し退屈な場所。毎日いつでも戻ってこられるおだやかな安心の場所から、今度は思いきり外に飛び出してみたい。新しく夢中になれることを見つけたいま、そんなふうに感じている。